★Ayako's Daily Life in Delhi★
2008-12-22T03:59:13+09:00
ayako-ondes
インドでの日々を綴る
Excite Blog
新ブログをスタートします
http://ayakoondes.exblog.jp/9958018/
2008-12-18T00:00:00+09:00
2008-12-22T03:59:13+09:00
2008-12-22T03:59:13+09:00
ayako-ondes
Diary★日記
この間、多くの方々にご心配おかけしました。誠に申し訳ありません。
今後ともおつきあい頂けるようでしたら、再びよろしくお願いいたします。
新ブログ インド & オンド / INDO & ONDES
2008/12より開始
当ブログ 'Ayako's Daily Life in Delhi’
2006/04〜2008/04までの記事
またウェブサイト(現在は英語版のみ)をオープンしました。
順次、内容を更新追加していきます。こちらもよろしくお願いいいたします。
ウェブサイト Ayako Hase Official Website
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未来賛歌
http://ayakoondes.exblog.jp/7845518/
2008-04-13T23:53:00+09:00
2008-04-14T06:24:22+09:00
2008-04-14T06:02:12+09:00
ayako-ondes
Diary★日記
1ヶ月以上ご無沙汰していましたが、その間に、デリーは完全に夏となりました。
チプカリーとは、ヤモリのことです。
夜、キッチンで何かしていると、窓が明るいせいかヤモリが数匹、窓にペタペタと登場します。
時々動くので、その度に私の気もちもそちらへと移ります。
横目で、決して見たいとはいえないヤモリの腹部を見ることになります (^_^ ;)
あまり大きくならないで欲しいです〜〜。
太ってくると、お腹にぽたっとした質感が出てきてリアリティーが増してきそうなので(冷)。
今、かろうじて平気なのは、窓ガラスがかすりガラスではっきりとは見えないということと、
チプカリーがここにいるということは、部屋に侵入してきそうな虫を防いでいてくれている...と考えると、ありがたくも思えてくるからです。
さて、久々のブログが、予定外のチプカリーの話しで始まってしまいました。しかし、今日書きたかったのは... そろそろ本題に入ります。
現在のデリー、いろんなことが動いるのが目と肌で感じられます。
メトロや道路の工事は至る所で進んでいます。見るからにごった返していて、道路は混むし、埃っぽい上、歩きづらいです。
数々のショッピングモールが建設され、閉じる店よりも新たに開く店が圧倒的に増えています。
バスもこれまでの窓無しのオンボロから、日本で見るような新しい奇麗なバスも走りはじめています。
経済の波に乗りたい人が大多数でしょう。貧困の差がとっても大きいインドでは、お金があると無いとではどれだけの違いがあるのか、それは現実としてあらゆる場面で明白です。
自己啓発セミナーなる団体や組織活動も活発化してきている様子です。しかし内容的にはお金稼ぎが第一のような...。
家族の絆はとても強く、子供への期待と教育にも相当熱が入っているようにも感じられます。
このたび、立て続けに私立の学校の1年のまとめのファンクション(催し物)に伺う機会がありました。いずれもデリーでも指折り優秀な学校のようです。
また、このたびわかったことに、この手の学校はデリー等のインドの大都市にはかなり多くあるようです。組織的に経営されていたりします。
インドの結婚式を例にとっても明らかなように、催し物好きで、その手のことには開催する立場でも参加する立場でもいずれもにとても慣れているインド人、スクールファンクションも半端じゃありませんでした。
ステージ&客席作りから、音響、照明、その他ケータリング等々、プロのイベント業者が入ります。
昨日の学校は、学校の敷地に入るなりすごい数の鉢植えに花が咲誇っていて、それだけでも圧倒されました。
これだけの花に囲まれているなんて素敵な学校! 招かれた人々は口々に感嘆の声をもらしていました。
本会場までの道には、レッドカーペットが敷かれ、その上を歩くことになりました。
生まれて初めてだったりして...。両脇には幼稚園か1年生くらいのまだまだ小さな子供達が「グッド・イーヴニング・サ〜」「ウェルカム・マ〜ム」とニコニコと、あるいは少し緊張もしながら手を振って迎え入れてくれます。
このあどけなさ、なんて純真なんだろう、もうカワイイばかりです。
会場には立派な野外特設ステージが作られていました。仮ステージのような弱々しいものではなく、下手上手のスペースも壁でしきられた本当にしっかりとしたものでした。
客席はゆったりとしたソファーが並び、一面絨毯が敷かれています。
たぶん普段はグランドなんだと思います。まるで応接間にいるような気分です。
テーブルには、次々と飲み物やスナックが運ばれてきます。
舞台上は、歌に始まり、数々のダンス、その後校長先生のスピーチ、そして各授賞式などが続きます。各教科、各部門で優秀な成績をとった生徒さん達が表彰されます。
女の子の活躍が目立ちました。そして皆勤賞なるものもありました。
印象的だったのがダンスです。音楽も振り付けもこのためにオリジナルに作られたものです。
ひとつはインドのお祭りを描写したものでした。
様々な地方の鮮やかな服装と装飾を装って、それぞれのキャラクターになりきって踊ります。
ステージの後方には、インドの各地方の食べ物の屋台が作られ、また、ステージの上手には、移動遊園地などで見られる簡易式の観覧車が設置され、小さな子供達が乗ってクルクルと回って遊んでいます。これらも全部ダンスの一部となっています。
そしてステージの広場では、インドの様々な街の日常生活が、ダンスで繰り広げられます。インド人の生活や、人情や、各地方の特色が、色彩、デザイン、動きと表情で描かれ、インドの個性豊かな多文化がこの一つのステージに凝縮されてカラフルに放出されます。
インド人はダンスや歌が大好きで、恥ずかしがっていたりする子供は皆無で、みんな生き生きと自然に表現されていました。
本当に上手で、役になりきった動きと表情。心から自分の役を楽しんで、観客にサービスしている様子が、観ている人々をとても幸せにしました。
ゲスト席の誰もがその魔法のような世界に連れていかれました。
微笑みを浮かべ「いや〜、素晴らしい」「テレビや映画で観る何よりも素敵で大切なものがここにある」と、自然と互いに目と目を合わせたくなります。
両脇の人々と共感したくなり声をかけあいます。
そこに居合わせた誰もが、生きる本質と喜びを感じ取ったようでした。
私も、自分が嬉しくてふわふわと浮いているようでした。幸福感に包まれるというのは、心も身も「軽い」感触になるのかなと、このような印象は初めて受けたかもしれません。
全く押し付けがましくなく、しかし十分に伝わり、全員の喜びが夜空の月へとほわ〜っと登って行き、夢のような時間が終わりました。貴重なありがたい体験でした。
これが隅々まで行き届いた教育なのかもしれない...。
次の演目へ移るちょっとした準備時間でさえも、安心感がありました。
とても良くオーガナイズされているということもあると思いますが、
全くせせこましくなくて、根底にどっしりと安定したものがあるように感じます。
それは、この学校の先生達と、学校を守っている人々、そして子供達の家族、そういう人たちの「愛」なのかもしれません。
そしてもうひとつ、上級クラスによるダンスも心に残りました。
これは、自然界の五大要素、空、風、火、水、地を表現したものでした。
この題材は、インドではしばしば選ばれるようです。数週間前に訪れた学校でも同じテーマでのダンスがありました。
衣装も各要素で色もデザインも分けられ、ステージ上での踊りは、真上に設置されたカメラで、ステージ後方の巨大スクリーンに同時に映し出され、まるで万華鏡をのぞいているように美しかったです。
公演後、衣装を近くで見ると何ということない案外簡単なものでしたが、踊っている最中には、照明の効果と、振り付けとピタリと合ってとても上品で美しく見えました。
中でも、「地」を表わしたグループが、最後まで低い姿勢で踊り続けたこと、そして、スクリーンのすぐ手前の中心(五大要素の後方)は一段高くなり、そこでゆっくりとした動きで表わされた男女二人の愛のダンスが印象的でした。
ストーリー性があり、段階的で、淡いところから官能的なところまで、知らずに創れない。
日本の学校でも、この手のものが演じられるのだろうか?とふと思いました。
変な意味ではなく、「カーマ・スートラ」が頭に浮かんできました。
インドの大昔からの長い歴史の中に、しっかりと根付いている「性の文化」とでも言うのでしょうか...。
普段の様々な場面で時々感じますが、「性」や「タブー」の捉え方がインドと日本では異なるように思います。うまくは言えませんが、日本では「性」を嫌らしくとらえる面もあるというか、はたまた、悪いこととまではいかないのだろうけど、何か隠す面が多いような気もします。
インドは変な意識でなくよりオープンで、人間が生きる上で、自然の五大要素と共に大切に考えられているようにも感じられます。
感覚的にとても大人のダンスで、「人間のありかた(根源)」を考えさせられました。
これだけのものを創りあげるには準備から相当な時間とエネルギーを要することと思います。また、先の別な学校では、招待状からプログラム等々、すべて奇麗な紙で手づくりされたとても凝ったものでした。そしてそこでも、自然体で堂々と演じきる様子、演じる子供達の笑顔と、きらきらと輝く目でとても幸福な気持ちにさせもらったのでした。
...未来が輝いてきますね。
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どうしてインド?
http://ayakoondes.exblog.jp/7604047/
2008-03-05T13:50:00+09:00
2008-03-07T15:52:31+09:00
2008-03-05T17:28:48+09:00
ayako-ondes
Ondes Martenot★オンド・マ
日本の方々からも時々受けます。
簡単に答えられるといいのですが...。ある時インドが浮上し、偶然インド繋がりの事柄が
多数重なりました。答え始めるくどくなりやすく、自分でもこういう場で表わすには
どうしたものかと思ってしまいます。
しかし、インド生活2年を経過した今、ひとつの仕切りの意味でも結果と照らし合わせ、
次に進みたいと思っている最近です。
で、ですね〜、今回のブログ長いです(泣)。
「インドに一人旅でもしてきたら? 頭が溶けていいんじゃない?」と友達から言われたのは
2004年のことです。当時は、もちろん冗談としかとらえていなくて、インドはと〜っても遠い
存在、まさか住む事になろうとはコレッポチも考えませんでした。
ところが翌2005年、インドに繋がることが自分の身に多く浮上してきました。
以下、順不同ですが...。
<音楽つながり>
・1999年に出会って即魅了され、始めた楽器「オンド・マルトノ」。
2001年から演奏活動を始め、ソロやアンサンブル、ダンスやヴォイス、朗読とのコラボ
等行ってきましたが、今後何か自分のオリジナルなものも持ちたいと思いました。
たまたま、オンドのソロで「ラーガ」という曲を弾いてみたら、自分にハマって表現が
しやすく、オンドとインド音楽の組み合わせから生じる独特な雰囲気もとてもおもしろく
感じました。自分のオリジナルなオンドの世界にインド音楽の要素も加えられたら…という
思いが生じます。ちなみに、この作品はフランスの作曲家によるものですが、インド音楽の
音階(ラーガ)と、インド音楽の醍醐味である即興演奏を取り入れたものです。
・更に「ラーガ」に興味がわきます。調べた限りでは、北インド音楽の旋法(音階のようなもの)で、
自然や時間や季節や感情とともに作られるということがわかりました。 といいますか、
何を言っているのかさっぱりわからないけれど、それだけに知りたいと思ったのが正直なところ。
そこには、人間の魂を奏でるという「オンド・マルトノ」と、人間の奥深い、根源的なところで、
何かつながるものがあるだろうという期待もありました。西洋音楽とは何か違うもの、
これまでの自分の体験や経験と違う、新たなもの、新たな価値観にも出逢えるのではという予感。
<自分に関して>
・ 自分には何か欠けている、何か不足していると感じていて頭がモヤモヤ。
インドに長く住んだことのある友達からは、インド行きを勧められます。
自分より他人の方が見えていることも多いから、漠然と、頭のどこかで「ふ〜ん」、と思う。
要するに、いつものように頭がぼ〜っとしているだけでした...。
<タゴールつながり>
・アジア初のノーベル文学賞を受賞したインドの巨匠ラビンドラナート・タゴール。
彼は、詩、戯曲、物語等の作家としてだけでなく、画家でもあり、音楽家でもあり、
役者でもあり、教育者でもあり、ある意味政治家でもあり宗教家でもあり、そして
それら全てにおいて長けていた(新しいものを生み出した)早熟な芸術家。
彼が、生前、マルトノの作者モリス・マルトノと交流があり、モリスは、インド音楽の演奏可能な
特別仕様のオンドを作っていたことを知りました。完成し“タゴール”と名付けられたその楽器は
主たるフランスの作曲家たちの見守る中実演されます。その場に居合わせた作曲家の中には、
インド音楽に興味を抱き、その後自身の音楽にインド的要素を取り入れたりもしています。
フランスとインドが、オンド・マルトノによって過去においてつながっている。
オンドの世界の広がりが感じられて妙に嬉しかったです。
このエピソードから、インド、そしてタゴールにも興味が湧きます。
<オンド・マルトノに関して>
・ オンド・マルトノの持続と発展のためには、楽器が生まれない限りは進まないと私は思っています。
人間にも寿命があって、楽器も消耗品である以上、長い目でみての話しです。
友達尾茂直之さんはオンド・マルトノ製作に興味を持ち、数年前から着手しています。
そしてこの年、真空管タイプの試作品を作りました。私は10月のヴォイスとダンスとの公演で、
自分のデジタルタイプのオンドと一緒にそれを使用しました。
時々コラボさせて頂いているメゾ・ソプラノ歌手の、ライフワークともいえるコクトー絡みの
企画で、電話がようやくひかれた時代、電波と音声が時々途切れては、切れてしまう会話も含まれた
企画だったこともあり、真空管のオンドの音を使って時代感を出したかったのです。
尾茂さんは、楽器を完成させるのことはもちろんですが、作ってからのことをもいろいろと考えて
いました。楽器が完成したら何らかの形で発表したい。それは自分の楽器を世に出すがためでなく、
楽器は演奏されて、聴く人の心に届いてこそのもの、それがアートというもの。アーティストとして、
オンド・マルトノを通じて人々と喜びや思いをシェアしたいという思いからです。
新たなオンド・マルトノの完成を心待ちにし、オンドの世界が広がることを思いに馳せて、
自分も少しでも貢献していけたら嬉しいです。
<プロジェクトについて>
・オンドを用いた音楽作りにインドが浮上してきました。
尾茂さんの友達で、日本に住んでいるインド人より、デリー在住のインド人歌手/作曲家/
プロデューサーであるバッバル氏を紹介されます。尾茂さんはすでにバッバル氏に会いにデリーへ
赴き、彼の音楽に涙を流すほど感動して帰ってきていました。今度は私がバッバル氏に会い、
オンドを聴いてもらうことになりました。楽器を持参し、この夏初めてインドを訪れます。
人間の心を歌うガザル歌手バッバル氏は、音楽家である以上に人間性を重視し、何よりも
人々に幸せをもたらすことを知っている人でした。彼は、オンド・マルトノの音、そして
日本人がこの楽器制作に挑戦していること、更に、その昔、マルトノとタゴールと関連があった
ことなど、全てに共感し、私がバッバルさんのスタジオでインド音楽を学ぶ事、そして
オンド・マルトノを使った音楽の制作にも多大な興味を示し歓迎してくれました。
滞在中、タゴールの博物館があるカルカッタ、そしてタゴールの作った学校や家のある
シャーンテニケタンにも足を運び、“タゴール”に関連する情報収集にも努めました。
暑かったし、日本の常識では動かないところだとは実感しましたが、インドもおもしろい
ような気がしてきました。
そこで、
基本的に地に足がついていないといいますか、自分の居場所が変化することには抵抗なく、
むしろ新しい地に好奇心もそそられる、そんな性格も手伝って、2006年1月、約4年8ヶ月住んだ
東京からデリーへ移ることになりました。
バッバルさんのスタジオ(Satish Babbar Creative Music Foudation)にてインド音楽を学び、
時々スタジオに持ち込まれる企画の演奏や制作を手伝いつつ、オンド・マルトノを取り入れた音楽を
バッバルさんに作って頂く。私はそれを楽譜に書き留め、演奏と制作で手伝うことになりました。
長くなりましたが、以上が大筋です。それ以外のものについては、自分の意識を超えたもので、大人げない自分に、人並みに足りないものを補うには...と、神様が導いてくれたのかもしれません。
私はただただ、これら一気に押し寄せたインドへの波に身を任せたというわけです。
<おまけ>
・時々仕事つながりで、ありがたくもご縁を頂くことがあります。当時、お世話になっていた渋谷の
Hakuju Hallでもそうでした。同ホールにて、歌手の米良美一さんのコンサートが企画されました。
公演では、歌う前にあらかじめ収録された米良さんによる詩の朗読を流すことになり、
そのBGMに、ご本人の希望と企画担当者の機転によって、オンドが使われることになりました。
それがきっかけとなり、2005年9月に発売されたCD「ノスタルジア〜ヨイトマケの唄」に
参加させて頂きました。米良さんは、人への思いやりとホスピタリティーが非常に強い方で、
音楽家として、また生き方において、大切なものを気付かせてくださいました。
更に米良さん行きつけの(?)占星術師をご紹介頂き、興味本位でみてもらいました。すると
「精神の座は海外にあり、2006年の2月中旬まではアート系、スピリチュアル系の幸運や
思いがけない不思議な展開が生まれる」と出て、インド行きもポンと背中を押された感じです(笑)。
進行状況と2年間の成果は後日ご紹介します。
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Love & Joy
http://ayakoondes.exblog.jp/7555764/
2008-02-25T23:23:00+09:00
2008-02-27T12:55:49+09:00
2008-02-26T23:44:16+09:00
ayako-ondes
Music★音楽
パンフレットに手書きによるシャンカル氏の素敵なメッセージがありました
やはり彼の演奏に接したいですね
The magic in music happens only
when the artist serves it with love
and joy - and the listeners receive it
with the same spirit.
Ravi Shankar
Feb. 18. 2007.
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ラヴィ・シャンカル ★ Pandit Ravi Shankar
http://ayakoondes.exblog.jp/7546137/
2008-02-24T23:10:00+09:00
2008-02-25T15:37:35+09:00
2008-02-25T15:29:10+09:00
ayako-ondes
Music★音楽
23日には、ババッルさんの友達であり、先日スタジオで会ったばかりのバーンスリー奏者Ajay Prasanna氏が出演するということもあって、ババッルさんと、グルプリートと、もう一人の知人と聴きに行く事になった。
ラヴィ・シャンカル、インドのシタールの巨匠で今年4月には88歳になる。
ビートルズとの交流や、その他西洋音楽の巨匠たちとの共演、共作等々、
インド古典音楽の演奏のみならず、幅広いジャンルのシタール音楽を生み、
また全世界で演奏してきた。
インド音楽を、そしてシタールという楽器をインターナショナルに広め、ファンも多い。
神様的存在である。
また、娘さんアニューシュカもグローバルなシタール奏者として国際的に活躍中、
そしてもう一人の娘さん、歌手のノラ・ジョーンズといい... すごい音楽ファミリー。
会場のラヴィ・シャンカル・センターはニューデリーの中でも最もハイソな地域、
各国大使館が集まるチャナキャプリにある。私も訪れるのは初めてであるが、全員そうだった。そこでまたとんでもないことに...。
目指すはチャナキャプリ。それはそれでいいのだが、この地域は本当に広く、
またひとつひとつの大使館の敷地が異常に広いので、地図を見ながら方向を確認するにも、
隣の大使館がどこの国の大使館なのか、それを確かめるのにも一苦労。
歩いて簡単に探せるような距離ではないのである。
ましてや、土曜日、暗くなってくると、あまり人通りも多くはない。
私は地図を見る事が好きなので、自分だったら前もって調べておくのだが、
今回は場所をあらかじめ聞いていなかったので、ただ連れられて行動している。
そして、バッバルさんにしてもグルプリートにしても、大方のインド人は、常に、
その場所に行ってそこにいる人に尋ねるのが一番という頭だ。
何回も聞きまくり、その度にぐるぐる回り、その果て、最終的にはたどり着くというもの。
私にはこれがとっても無駄に感じられて好きではないので、ノー・プロブレムと言われようが、
何と言われようが、場所を聞き出しておいて調べてくるんだった...。
そして、ようやく7時過ぎに到着。外国人も多いし、そんなに大勢で埋め尽くされているというわけでもなかった。しかし、建物といい、ロケーションとといい、引き込まれる
雰囲気でとっても素敵だった。そして会は6時にすでにスタートしていた。
1時間ほど遅れたところで、いつものこと。半分聴くつもりなのだろうなと軽く考えていが。
着いたとともにちょうど曲が終わり拍手。
そして「それではこれより10分間の休憩です」とのアナウンスがあった。
グルプリートに、この後、また彼らは登場して演奏するかと聞くと
「Maybe. I think so.」との返事。その割に、バーンスリーは袋にしまわれ、またタブラも片付けが始まり、少し不安になる。
ともかく、演奏者のところへ挨拶に...。
バッバルさんとステージ下手の奏者のいるところへと向う。
その途中、ソファに一人のおじさんが座っていた。
ババッルさんはその人を見て、その人もバッバルさんを見て、お互いとっても穏やかに挨拶しあった。二人の間には、とても親密かつ尊敬しあった自然な礼儀正しさが感じられた。とても静かだが、温かい対面に見えた。
出演者やその他の入れ替わりの聴衆などで騒然としていた中、ここだけは別世界のようだった。
と、その様子を、しっかりと監視しているおばさんがすぐ近くの観客席にいた。
白い小さなカワイイ犬を抱いたその人は「師匠は今体調がよくないから、関係者以外はここから先には入れないように。さもなくば、師匠を控え室の方へ連れて行って....」と何やらかんやら訴えている。
まさに彼が、ラヴィ・シャンカル。カリフォルニアに住んでいるはずだが、このためにデリーに来ていたのか! まさか彼がここに来ているとは全く思いもしなかったので驚いた。
しかたなくなのか、本当に体調がすぐれないのか、その声を聞いたシャンカル師も、それに従い控え室へと移動してしまった。
偉業を成し遂げているその大きな活動とは反対に、印象は小さなおじいさんという感じだった。
そして、懸念通り、後半は違う演奏者のステージへと変わってしまった。
先回のバーンスリーのチョウラシアの時と全く同じパターン。
今回もバッバルさんは録音するようにと、私はMDを用意していたのだった。
奏者の人たちにも合わせる顔がない、恥ずかしいし、それに何よりも聴きたかった。
ところで、このラヴィ・シャンカル・センターは彼の資料館としても、また財団としての機能もしている。たくさんのシャンカル師のコンサートポスターや写真や賞状などが展示されている。
詳しくはココのサイトをご覧ください。彼のシタールとともにサイトが開きます。
また、センターでのコンサート模様はココを! とっても素敵な建物、そしてこんな雰囲気でした。
そしてオマケに、そのカワイイ白い犬は、たぶんこの中の8番目の写真に写っている犬だったと思います。
1時間ほど聴いて、我々は次の予定の知人の結婚式へと向わなければならない。
シャンカル師はその特別に用意されたソファに座って聴いている。
ババッルさんももう一度彼と話したかったが、途中で話しかけるのも悪いので、
泣く泣くまた次の機会を願って、会場を後にした。
いつか、シャンカル師の演奏を生で聴きてみたい。
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占星術
http://ayakoondes.exblog.jp/7518014/
2008-02-20T21:48:00+09:00
2008-02-21T10:26:52+09:00
2008-02-21T02:03:24+09:00
ayako-ondes
Culture★文化
結婚式の日取りも占星術で決めることがほとんど。それは知っていたが
その他もしかりである。
ババルさんの奥さんの体調が優れず、すぐにでも検査をした方がよさそうで、そのことで昨日、ババルさんは気持ち的にも、実際にも少々慌ただしかった。そしてもっとも早く検査を受けられる明日、木曜に...という話しだったのだが、今日になったら、占星術的に今は日取りが悪いので、2週間先送りにすると言う。
こういうことにも占星術が使われる。人間の身体に関わる事なんだから、検査は早い方がいいのでは?という思いと、しかし、星の言う通りにした方が結果オーライならば、その方がいいのでは?という思いとが、頭の中でぐるぐると堂々めぐりしてしまう。
私には少々怖い賭けにも感じるのだか、占星術の言う事を聞く方がいいと皆さん考えているようだ。ともあれ、結果が良くなる事を信じるしかない。
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朝の時間
http://ayakoondes.exblog.jp/7508990/
2008-02-18T23:00:00+09:00
2008-02-19T20:13:00+09:00
2008-02-19T20:11:39+09:00
ayako-ondes
Nature★自然
ガザル歌手のバッバルさんが、最近時々歌の稽古に来ているスニータに話しかけています。
私もその場にいたので、一緒に聞いていました。
「今朝は歌の稽古したのか? 練習するのは早朝がいい。
4時くらいから2時間ほどやって、それからまた少し寝たらいいんだ。
朝のこの時間はとっても貴重な時間。自然界、そして宇宙の、全てのエネルギーが
生まれる時間。汚れのないクリアな空気。
この時どれだけのエネルギーが動くか想像できる?
はかりしれない広大なエネルギーが流れるこの時間に発声練習をする。
自分自身の中に素晴らしいエネルギーを取り入れることができ、
プラスのエネルギーに満たされる。何も発声にいいだけではない。
考える事においてもとても有意義に働く時間なんだ。」
確かに、この時間帯の自然界の光と色の移り変わり、空気の動きはとても早い。
人工的には作り出せない自然の美しさと、新鮮さに溢れ、鳥も歌い始める。
インドでは、自然と人間の結びつきをとても強く感じる。気候と食べ物と体調にしても、
ヨガやアーユルヴェーダの精神にしても、自然と人間が密接に関連している。
インドでの生活の根底には、このような知識と知恵、考え方が過去から現在に至るまで
しっかり蓄積され、継承され、揺るぎなさを感じる。
我々が生きている上での根本的なものであるはずだが、時間や仕事に追いかけられていると
ついつい忘れがちになり、自然に対しても、自然と人間の関わりにおいても鈍感になっていく。
更にバッバルさんは続けた。
「ただし、ここで(朝の時間に)自分のことしか考えられない人は決して報われない。
自分のことだけを考えながら発声練習したところで、上へとのぼれる道は見いだされない。
自分というちっぽけなものに目を向けるのでなく、もっと広く、もっと大きい世界、
そして、大きな宇宙を感じながら、その宇宙のエネルギーに自分の身を置く。
その中で高い次元に目を向ける。
多くの幸福、平和、自分以外の人々の喜びを考えられないようでは、何も始まらない。」
つまり、エゴがあってはならないということか…。ヨガや瞑想においても、
エゴを取り除くことで心のバランス、世の中の平和と喜びが訪れる事を説いている。
太陽とともに起き、自然界の恩恵を受けよう。
より広く、大きな宇宙の物差しを持ちながら一日一日を精一杯生きたら、
沈む夕陽もより美しく心に響くに違いない。
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handcrafted paper
http://ayakoondes.exblog.jp/7497813/
2008-02-15T09:34:00+09:00
2008-02-18T00:14:14+09:00
2008-02-17T23:55:44+09:00
ayako-ondes
Nature★自然
数日前には感じていたのが、昨日、今日となると... どうしてこんなにすぐに暑くなるのか!?
一番過ごしやすいと思う期間があっという間に過ぎてしまうようで、何とも惜しい。
* * * * * *
平日を一日オフにした。
日曜もスタジオへ行ったので、その分どこかで気分転換、日曜定休で
しばらく訪れていない店に足を伸ばすことができた。
ベットカバーやクッション、気の利いた洋服、その他自然化粧品や食器、
線香やオイルなどを扱い、外国人や観光客にも人気の店である。
久々なので、品物も半分以上が以前と変わっている。じっくりと見てしまう。
しかし、欲しいとまで思うものにはなかなか出会わない。
二階へあがる。
絵はがきの棚の上に目を移すと、数冊ノート・パッドが積まれていた。
その色合いと、質感に心がそそられる。
handcrafted paper と書いてある。説明書が1枚入っていて、純綿、藻類、バナナ、
サトウキビの皮、ウール、そして花びらでできているとある。
もちろんその説明書も、ハンドメイドの同様の紙である。
更に、こんな一文も。
Only handmade papers offer the variety of texture and colour
to inspire every individual in finding a means of expression.
この紙に自分が何かをかく事を想像するだけで、気持ちがいい。嬉しくなる。
値段やブランドじゃない、語りかけてくるかどうかで心が惹かれたり動いたり...。
ちなみに80円くらいだった。
* * * * * *
一日おいて、翌日の早朝。その手作りの紙に触れてみる。
まだ薄暗いが、電気をつける気分でもなく、蝋燭を灯す。
冬のデリーの必需品、常備している。
尖ったペンは無性に避けたく、丸みを帯びたペンを選ぶ。
ザラザラ、多少ごつごつした紙の表面の感触が、ペンから手に直接伝わる。
滑りがいいとは決して言えない、そして、時々思わぬ方へ線が流れる。
かく前に想像していたのとは全然違って、アーティスティックにかけないし、
美しくないかき様だけど...
いい感触である。
かいているという実感がする。 ものをかくとは こういうものか...。
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どっこいしょ
http://ayakoondes.exblog.jp/7356326/
2008-01-27T19:00:00+09:00
2008-01-27T23:05:22+09:00
2008-01-27T22:53:02+09:00
ayako-ondes
Diary★日記
久しぶりに日本食屋へ行き、幕の内弁当のランチを食べてきた。
店内には、日本人のおじさん方数名がひとつのグループになって、一角のテーブルで食事をとっていた。よくは見なかったのですが、おそらくデリー在住の方々だと思います。
内容までは聞いていませんでしたが、みなさんそれぞれに日本語のアクセントが違っていたので...。
私はというと、そちらには背を向ける恰好で、和室の方を見ながら一人で食事。
他に客はいないようで落ち着いた雰囲気でした。
久々の日本の味、そして幕の内はおかずの種類が多くて、あっちこっちと箸が休まりません。
軽く自分がエキサイティングしてしまう。
慌てず、慌てずと自分に言い聞かせて食べているなんて、恥ずかしいなー
そんなお楽しみのところへ、ドヤドヤと日本人観光客がやってきました。
50代後半から60代くらいの男女あわせて30名くらいの団体さんです。
前も出くわしましたが、この日本食屋さんは、どうもツアーのランチとしてコースに入っているようです。
私からよく見える方の和室の席は一気に全部埋まり、騒々しくもなりました。
靴を脱ぎながら、口々に「ドッコイショ」「どっこいしょ」...。
そしてすかさず、「どっこいしょなんて言ってね〜 や〜ね〜」と言った者同士が笑い合う。
くっくっく これこれ! 懐かしい響きです。
さらに、ドキッ! あるおばさんがビデオカメラを思いっきり真正面にいる私の顔に向けたまま停止、その後店内をぐるるんと撮影。
思わず下を向き目をそらしましたが、突然でびっくりしましたー。
そしてもうひとつ、あれっ? と思った事には、みんながみんな口や顎にマスクをしていたことです。
最初は風邪かと思いましたが、来る人来る人、みんなマスク。
そういえば、日本人観光客はマスクしていると誰かが言っていたっけ?
日本からインドへ来ると、埃っぽいし、汚いし、臭いところも多いし、マスクは必需品ですとでも言われているのかな?
私も最初の最初にインドに来た時はハンカチを口からはずせなかったのに、それは今ではバスや、オートやリキシャに乗る時だけ。でも、きっとかなり空気は汚れているんだろうな〜
せめてうがいは毎日忘れずにしようと思う。
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ブログに関して
http://ayakoondes.exblog.jp/7352689/
2008-01-27T09:41:00+09:00
2008-01-27T13:28:23+09:00
2008-01-27T13:28:23+09:00
ayako-ondes
Diary★日記
書いている。
自身、時々目を通しているブログもいくつかあるが、更なる開拓や検索に積極的な方ではない。
しかし、そんな中でも、ブログの書き手はそれぞれに、状況や心境の変化によって
書く事を止めたり、新たなもので再開したり、それもまたいろいろですね。
内容も、一つの事柄に特化したものから、幅広いものまで、そして形式もコメント欄や
トラックバックがあるものから全くないものまでも…。
私も休みながらも書き始めてちょうど1年が経過。
デリーでの自分の周りにおける年中行事のようなものは大方書いてきたつもりですが、
この国は多宗教でもあり様々な行事も多く、全ては全く書ききれてはいません。
まだまだ私自身の知らないこともたくさんあります。
しかし、ひとつの節目として1年分を見返すにつけて、また、これを読んでくださっている方々の
意見などをもふまえて、新たな気持ちで綴っていきたいと思っている昨今です。
どんな方がこのブログを読んでくださっているのかは全て把握してはいないのですが、
十人十色、私との間柄も含めて様々な方がいらっしゃるのは確かです。
見える範囲では、ブログ内に頻繁にコメントしてくださる方、直接メールで感想等を
知らせてくださる方もいらっしゃれば、知人を通して聞こえてくる声などもあります。
いずれにせよ、率直なご意見やお気持ちの多くは、自分の忘れている部分や、
思ってもみなかった点などを気づかせてもくれます。
その中のひとつ、こちらでの活動を応援してくださっている方から、
「インドで実際に何をやっているのか、その幹の部分が何にも見えてこない、書かれていない。
いつまでも遊んでいるのか」とのご指摘も受けました。
確かに書いていないので指摘されるのも当然です。
最初のうちはそのようなことも書くつもりでいましたが、写真を撮るのはだいたい日々の何らかの出来事等々があるとき、そして、それらは自分自身でも記録として残しておきたい、
あるいは伝えたい気持ちもあって、そういったものを自ずとずるずると優先してきてしまいました。
そして写真が多ければ多いほど、書くにしても、レイアウトにしてもかなりの時間を要することになり、それだけで終わってしまう。そしてまた次の出来事がやってきて... とその繰り返し。
デリーに来てからというもの毎日のようにスタジオへ通い、現在はバッバルさんとの音楽作りに明け暮れていますが、それは今となってはあまりにも日常と化し、当たり前のことになっています。
デリー観光もほとんどしていなくて、コツンと一発やられそうですが、正直もっと遊びたいくらいで
1日のほとんどをスタジオで費やしています。
ブログに書いているのは、実際は1日のうちでもほんの少しの時間の出来事、
あるいは頭をよぎった事、ちょっとしたこと等にすぎないのですが、発信がブログだけ
となると、遊んでいると思われても仕方ないです。
書き出してから1年が巡った今、年中行事的なことを繰り返し述べていく必要もなくなったと感じています。仕切り直して、本当に日頃の、そしてその幹なる部分も少しずつでも記していこうと思います。ちょうど、インドへ来る際に購入したデジカメも酷使の末か最近調子が悪く、しばらくは写真も思うように撮れないかもしれないですし…。
ただ、やはりインドでの生活においては、これまで体験したことがないようなこと、そしてまだまだ新しい発見や驚きがたくさんあり、底がつきません。ありがたくもここにいる、ここにいさせてもらっている、生の情報や体験はこれまで同様綴っていきたいところです。
更に…
「表現がちょっとエロっぽいところもあったりして面白い。その調その調子。」とのコメントも頂いていて、ほんと人はいろいろ思うものですね。
自覚症状はないものの、そんじゃ一丁、エロ丸出しでいきまっか〜!
真面目な堅い幹の部分も入れつつ、色っぽい花も満開に咲かせちゃえ!! (ほんまかいな?)
これ目標に極力頑張ります。
今後とも率直なご意見等々どうぞよろしくお願いします。
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本日、休閑。リパブリック・ディ(共和国記念日)
http://ayakoondes.exblog.jp/7352856/
2008-01-26T09:46:00+09:00
2008-01-27T14:17:45+09:00
2008-01-27T14:11:46+09:00
ayako-ondes
Diary★日記
インド共和国憲法が発布されたのは1950年のこの日である。
それにしても、嬉しいのは今日が土曜であって、久々の連休であるということ。
この前の連休がいつだったのか、あったのかどうかも覚えていない位ですが、
とにかくありがたい連休です。
連日スタジオへ朝から晩まで通い、時には日曜も。
そして休みの日曜には大掃除、洗濯、食品の買い出しをしているとかなり時間が経ってしまう。
この連休で、掃除、洗濯、買い出し、ブログ、ヒンディー語の勉強、食べ物開拓、出したいと思っている手紙やメールの数々、散髪などなど、諸々を片付けたい。
ところで、毎年、この日にはパレードが行われるが、とにかく寒い寒い。
今日もとっても寒いです。 そしてこの後、寒さも遠のいていくのだとか...。
さてさて、今晩の私の寝姿を見たら、みなさん失神しかねないかも!
とにかく寒いですからね〜。
私持っているんですよ、全身バリバリのコスチューム。 着ぐるみでございます。
ハロウィン・パーティで着た事がある、それもネズミの着ぐるみ。
全身すっぽりと入り、頭にはネズミの耳、目、鼻のついたかぶり物付きです。
これがなかなか心地よい生地で温かい。
ほんと、寒いんですよ、ハハハ...
インドは暖房設備が完璧ではないので、それにこんな着ぐるみ着る機会ほとんどないですからネ〜
何といっても頭までがすっぽりと入るところがいい、耳が温かいし...。
インドへ来る時に持ってきたんです。
これを着て写真を1枚、それを年賀状に使えば良かったのかも...。
バカな話しはこのくらいにして、連休満喫しまーす!!
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TV - DU - チキンスープ
http://ayakoondes.exblog.jp/7348026/
2008-01-21T23:52:00+09:00
2008-01-26T22:06:34+09:00
2008-01-26T18:43:24+09:00
ayako-ondes
Diary★日記
停電も多い。私の住んでいるところでは、毎日、朝晩必ず電気が落ちるので、シャワーの時間を考慮しておかないと遅刻しかねない。そして、ネットも一緒に落ちてしまう事も多い。
寒い時期の辛抱である。
今日は、夕方5時からのインタビュー番組にバッバルさんが生出演することになった。
私はスタジオで、サーバントとエンジニアのグルプリートと、時間に合わせてテレビの前に座った。
スタジオのテレビはきちんとアンテナにつながれていない。
本体付属のアンテナの角度を変えつつ、見える場所をさがしていく。
しかし、映像同様、音声もさっぱり入ってこない。
サーバントは普段からやっている様々な手で調節していくが、あまりに原始的なので、
私は焦れったくてたまらない。
そして次なる手...
サーバントが台所からワイヤーを持ってきた。
彼らがこしらえたというワイヤーの先には、大きな釘が付いていてワイヤーでグルグルと巻かれている。ワイヤーを窓越しに近づけ、電波を拾うらしい。
まるで、理科の実験を見ているようだ。
しかし、映りはあまりよくない。たまりかねたサーバントはテレビの後ろのプラグらしきものを指で押さえた、一度は軽く感電していたが、テレビの映りも音声も何とか。
この方法が一番いいようだ。気の毒なサーバント、ずっとプラグを押さえ続けている...。
いよいよ、バッバルさん登場。今回は一人で、ハーモニウムとともに出演。
男女2人のアナウンサーからのインタビューと、短い曲を3曲披露した。
その中の2曲は、今私と一緒に作っているガーリブの曲だ。
もうすぐリリースするということ、そして私のことも紹介してくれていた。
しかし、私はちょっとドキッとした。
というのも、バッバルさんはスタジオを出かける時の恰好そのまま、まさにオーバーにマフラー姿。
インド全土に放映される番組である上、同じ場所にいるアナウンサーは軽装、女性の方は半袖のサリーである。 チグハグである、せめて、オーバーとマフラーは脱ぐべきではないのか...。
しかし、そんなこと気にもしていないんだろうな、バッバルさん。
いつものようにカメラに向かって、時折スマイルを織り交ぜながら一生懸命に訴え続ける。
その後、バッバルさんはデリー大学(DU)に駆けつける。
私も突然「現地集合!」との連絡を受け、慌ててデリー大学へと向かう。
以前紹介したこともある、インドのフルートこと、バーンスリー奏者ハリプラサード・チョウラシアの演奏がデリー大学内である。
名前は難しいけど、この人は世界的にも超有名、またバッバルさんとも友達らしい。
今日の公演ではもう一人、女性歌手も公演する。すでに公演自体は始まっていた時間だったが、バッバルさんはチョウラシア氏から後半の演奏と聞いていたそうで、それにはちょうど間に合いそうだ。
しかし、会場へ着いてみたら、順番が逆になっていて、チョウラシア氏の演奏が先。
それも最後の最後、拍手の最中であった。
どうも早く帰りたいチョウラシア氏の希望で順番が逆になったらしい。
バッバルさんは、チョウラシア氏が可能であれば、公演後に食事にでも誘いたいと言っていたが、時間変更の連絡までは特になかったようだ。 本当にこの二人は友達同士なのだろうか?
公演後、大勢のマスコミに取り囲まれ、その表情は時々怒っているのでは? とも思わせ、ますます貫禄を感じさせるチョウラシア氏。
バッバルさんを見つけると、笑顔も見せてくれて少し安心したが、二人の様子を見ているとどこまで親密な関係なのか疑問が残った。
チョウラシア氏は演奏直後でもあるし、マスコミがとにかく押し寄せている。
そんな状況の中だからだろうか? 知名度の高さがそうさせているのか?
バッバルさんのチョウラシア氏を思う気持ちと、相手の気持ちは微妙にずれているようにも見受けられた。
それにしても、インドのマスコミ関係はインド人気質丸出しで、押しが強い。
しかし、それよりも上手なのはバッバルさんである。 さっきのテレビ出演のまるで延長かと思わせるほど、自分の世界へとグングンと引っ張る、訴える。
クラシック音楽について質問した側のアナウンサーも、仕事を忘れたかのように長時間マイクを向けたまま聞き入り、感心しきりである。
どう転んでも一聴衆の感想に終わらない説得力。
と言いますか〜、そもそも我々は演奏も聴いていないのだから...。
私の目には、一応これはチョウラシア氏がメインのインタビューだからもう少しバッバルさん控え目でいいのでは?とも感じたが、バッバルさんのすごいのは、何事にも真正直に真剣に取り組みまっすぐな点。
更に、その中にもチョウラシア氏への尊敬の言葉をうまく織り込む。これでいいのかもしれないな、私が変に気を使い過ぎなのかも...。
ちなみに、バッバルさんにちょこっと聞いてみた。本心がわからなかったので...。
「今日のテレビ良かったです。写真撮りました。2曲もガーリブ歌いましたね。ところで、
オーバーとマフラーの、この恰好でしたね」
「冬だから...」
「はぁ、でも隣の女性は半袖のサリーで...」
「あの人は頭がおかしい。冬なのに...」
まっ、それでいいのかも...。
とにもかくにも、演奏は聴けなかった。数日前から「ayako、録音しよう」とバッバルさんに言われ、電池を充電し、しぶしぶMDを持ってきたわけだがそれも使わずじまい。正直ホッとした。
公演で録音するのは本当はいけないのでは? 落ち着いて聴けないし本来はやりたくない。
それにしても、寒い夜。 昨年もデリー大学での同じSPIC MARCAYシリーズの公演に来たが、とっても寒かったことを思い出す。
この寒さにピッタリなもの、それはチキンスープ!である。 Let's Go!!
最近教えてもらったチキンスープのあるお店は、北デリーにあって、更にこのチキンスープは冬の間だけしか味わえないそうだ。
これがまた美味い!! 濃厚な鶏ガラスープ、そして入っているチキンが柔らかく、毎日でも通いたくなるほど忘れられない味である。体に悪い物が一切入っていないのも魅力的。
ここのオーナーもバッバルさんのお友達である。西デリー等にも何店舗か持っているそうで、
この外で食するタイプの他に、この隣には同じお店のレストラン部門もある。
ピンク色のターバンの人がオーナー。
他にもチキン、マトンを中心としたメニューほか、ベジタリアン用のメニューもあり、カレーとはまた違うインド料理のひとつである。
あまり考えないで撮った写真なので、食べかけですが、料理はこんな感じ...。
左下にあるのがチキンスープ。
右皿中央のチキンもジューシーで美味しい。
バッバルさんは、このオーナーと、日本でこの手のインド料理のフェスティバルのような物を開いたら、日本人に喜ばれないか?と聞いてきた。
う〜ん、どうなんだろう? ここで食べているからとっても美味しい。日本は日本でまた美味しいものたくさんあるし、こだわりのラーメン文化もあるので、この手のスープに関してはかなり舌はこえているだろうし、チキンにしても焼き鳥もうまいしな〜...。
それ以上に、しばらくインドにいるので、自分自身の味覚に自信が無い。
日本人の友達が旅行に来たら、ここへ連れてきたい。試しに食べてみてもらいたい。
今のところは、食べ終わった先から、また食べたくなる味である。
外なので、せっかくスープで温まっても、長居はできない。
家まで温かさが持続してくれたらいいのだがと思いつつ、早めに切り上げた。
家に戻ってしばらくしたら、バッバルさんから電話があった。
「ayako、私の携帯電話を知らないか?」
私は今日は一度も携帯を預かっていなかった。そういえば、デリー大学からの帰り際、車の近くでデリー大学の関係者と会って電話番号を交換した。その時、バッバルさんは携帯を持っていた。
そこから車まではほんの数メートルだったが、車の中にも、ポケットの中にも、どこにも見当たらないらしい。必ず何かが起こる日々である。
翌日、グルプリートが言うには、バッバルさんは携帯をなくしたのは1度や2度ではないそうだ。
それもその携帯は、娘さんが新婚旅行にドヴァイに行った際に買ってきたもの。
そしてそこには何百という人の連絡先が入っている。
バッバルさんは、携帯がない事に気づいてから、寒い中、再び大学、そしてチキンスープの店へも探しに行ったらしいが出てこないのでかなり落胆気味。
今後の仕事の進展にもあまり影響が出ないといいのだが...。
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日々勉強
http://ayakoondes.exblog.jp/7274305/
2008-01-15T10:00:00+09:00
2008-01-20T02:41:13+09:00
2008-01-15T15:15:56+09:00
ayako-ondes
Diary★日記
様々な理由で当初の11月から予定がのびのびになっていた、バッバールさんのCDリリース日をこの2/14にすると聞いたのが数日前である。
何かが動き出すと、一気にワサワサガサガサ動き出し、色々なことが起こる昨今です。
昨夜は、バッバールさんの運転する車で一緒にドクターへ行くことになっていて、8時過ぎにスタジオを出ました。この時間帯は、とてもローカルな道でも多少の渋滞となり、道路は混み気味。近年、車の台数がどんどん増えているため、駐車スペースも追いつかず、その分道路も狭くなるというのも渋滞の一つの原因なのですが...。
しかし、インド人はそんな渋滞の中でもスピード狂。みんなが我もが我もと先へ行こうとするので、車が縦に並んで走るという光景はまず見られません。
最近、バッバールさんの運転が怖い私、昨夜も、自分の考えるブレーキのタイミングよりかなり遅く踏むので、「前に車、気をつけて」とついつい口走ってしまったのですが、「大丈夫、大丈夫」と。
前の車は見えているようではありました。
しかし、そのすぐ後、私の座る側の車間隔があまりにもギリギリで、ぶつかりそうになり、
ヒヤ〜と心臓が一瞬縮みました。
「Take care!!」また言ってしまいました。バッバールさん、「I’m taking care...」。
コレでも気をつけているのか…。
しかし、その直後、ほんの少しの隙間を見つけて、即座に車を入れ込み、追い越しまでして、こんな混んでいるところでよくやるな〜。
不意の来客で時間が押した上、我々の診察の後には、今度は違うドクターへ奥様を連れて行かなければいけないので、気持ちが急いでいるようです。インドでは医者、病院が夜遅くまで普通にやっています。
それにしても、走っている車の他にも、駐車中の車が車道にも乗り出していて、境目がわからず、本当にいつになくごった返していました。
そして、次の瞬間、えっ? まさか? このまま進む? と思ったと同時に、バリバリバリ...。
私の乗っている側を駐車中の車に側面全面擦り、やってしまいました。
あ〜ぁ、だからさー、気をつけてって言ってたやんか...。
しかしバッバールさんは車を止めず、そのまま進行。これがインド式なのか?
しかし、やられた運転手は追いかけてきているらしい。
その運転手がフロントガラスの前に来た!
必死になって、「車を止めろ、あの車を見てみろ...」と言っている。
そしてバッバールさんの車を前から力一杯押し、しばし立ち往生。
しかしバッバールさんは車から降りず、「車道に駐車している方こそおかしい」と言い、進もうとすることしきり。
ついにその若い黄色の蛍光色の服を着た運転手はボンネットの上に乗っかった。
そして車は、彼を乗せたまま、数十メートル、約1ブロック分走った。その運転手の目はずっと車の中の私たちを見続けている。
こんな映画のシーンのようなことが日常で起こってしまう。一体、バッバールさんもどうするつもりなのかと思っていたが、ようやく渋滞のひいた、駐車スペースのあるところで停車した。
トークバトルが始まった。
どうも運転手は、ぶつけられたのは自分の車でなく、主人の車らしく、手を合わせて何とかして欲しいと時折バッバールさんに訴えるポーズをとりながらも、車のナンバーを控え、またバッバールさんの近くで話しをする時には、ワイパーを立ててそれを手でしっかりと握ったまま、運転席側に来て話しをする。徹底して逃がさないようにしている。
一方のバッバールさんは、「ayako、ドアと窓のロックをしっかりかけてそのままでいろ」と言い、自分も彼と話す時には、窓を少しだけ降ろしてそこから声を出している。
黄色い服の若者は、通りがかりの人に、事を説明し応援部隊を頼む。
こうして、何か事が起こると、いろいろな人に大きな声で説明する。また関係なくてもそれを我が身のごとくよく聞いてくれるのがインド人である。
通りがかりの2人の男性がその話しを聞いてくれて、ぶつけられた車のナンバーも聞いて、実際の現場を見に行ったようだ。
そしてしばらく、フロントガラス越しににらめっことなった。
バッバールさんは、相手の様子をよく見ている感じで、また黄色い服の運転手は、次に何と言おうかと必死で考えている様子。
「彼は何を考えているのか?」とバッバールさんに聞いてみたら、
「どうやってお金を巻き上げようかと考えている」と言う。
この手の接触事故はインドでは日常茶飯事のことで、その際には口が達者な人が大金をぼったくるというケースも多いようだ。
バッバールさんは、その彼がどんな人か様子を見ていて、それから口を開いた。
「実は、私は心臓の大手術をしていて今ドクターの予約が入っていて、これから病院に行くところだ。またその後には、大病をした妻を病院に連れて行かなければいけない。あなたはもう車の番号も控えたし、そのまま警察にどうぞ言ってください」と。
そうこうしているうちに、通りがかりの先ほどの2人の男性が、ぶつけられた車を見て再び我々のところへ戻ってきた。
「おいおい、車の傷はたいしたことないじゃないか。 あのくらいだったら、いくらくらいか…。
お金で解決したらどうなんだ」と言ってくる。
バッバールさんはそれはしたくないようだった。それはあまりいいことない。
「自分が知っている車の修理を紹介するから、とにかく明日話しをしよう」と言い、その2人の男性にも、自分は術後の身でこれから病院へいかないといけないことを言うと、その男性も、「早く病院へ行った方がいい、病院へ行かせてあげなさい」と運転手にも説得する。
何となくこのやり取りを見ている分には、運転手の若者もお金を巻き上げようとか、悪い人でもなさそうな感じがしてきた。これはどっちもどっちだなと感じたが、ババールさんも、ようやく自分の名刺を出し、明日ここへ来て、そこで話し合おう....と、ひとまず決着がついた。
そして我々はそのままドクターへと向かう。後ろからけたたましくホーンを鳴らしてくる車がいる。
今度こそはバッバールさんも「どうぞ、お先に」とスピードを緩め道を譲り、先へとやった。そして
「どうよ。このうるさいホーン、そして飛ばしてくる車。ホーンも本来はこんなに必要ない。
マナーもルールもあったもんじゃない」。
更に、「自分はどれだけこの車にお金がかかったことが、ぶつけた人、誰一人として払った人はいない」と独り言のように言った。
赤信号だって無視する人がほとんど、真面目に止まっている方が、後ろから追突されるのではないかと逆に心配になってくる。そして本来必要ないホーンの多発に関しても、騒音としか言いようがない。
バッバールさんは、本質的に、このようなインドの運転に関しては憤りを感じていて、いつもそれに戦っている。しかし、圧倒多数の運転手に対して太刀打ちできないのが現実。
いざという時には、自分も打って出なければ、損をするのが落ちである。ストレスがたまるわけである。
デリーの地下鉄にしても、エスカレータで急ぐ人のために列を開けるということは絶対にない。また降りる人を待って乗ってくる人もいない。
降りようとするホームには、ギラギラの眼をした人だかりが出来ていて、その固まりがそのまま、開いたドアに押し流れてくる。。どこから降りたらいいのか? 私はそこに真正面から突っ込んで行くこともある。幾度か、各ドアにメトロ職員が立って指導をしていたことがあったが、それでも全く効果はない。
インド行きの飛行機にしても、到着とともに、人々はわれもわれもと率先して先を行きたがる。
この殺気、あ〜ぁ、インドに来たなと実感する。
お店においても、他の先客があっても、並ぶことなく、自分の買いたい物を来るなり告げる。
ここで順番良く待っていたり、黙っていては、ただただ残されるだけである。
時々、一般に通用するマナーを心得ている人が、順番の指示を出したり、待っている人に気づいてくれたりすることもあり、そんな時はホッとする。
日本とは違うことがたくさんあり、このようなことに対して、ただただ、インドはひどいところだと感じる人も多いと思う。確かに、なっていない点は多いのである。
しかし、このインド人気質は、決して物事をネガティブに考えないので、違う場面ではとても効果的に働くことも多いのである。
そういうことに日々遭遇しつつ、自分の固定概念を打ち壊されていく。そして、改めて日本であった出来事などを思い出すにつけ、人により、様々な捉え方、考え方があることと実感する。
日々そんな人間勉強が続いているけれど、狭い考え方、ネガティブな考え方はしたくないと思うのである。
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木に 木で 木が
http://ayakoondes.exblog.jp/7258750/
2008-01-12T23:39:00+09:00
2008-01-20T02:50:31+09:00
2008-01-13T05:39:14+09:00
ayako-ondes
Diary★日記
今日のスタジオの窓からの光景です。
この冬は、今週に入ってからは特に温かい気がします。昨年よりも...。
朝晩は冷えても、日中はポカポカと気持ちいいのです。
そして昼頃、この森のすぐ手前の木に、強烈な青色をした鳥を発見しました。
スタジオの窓からなので小さいですが、写真中央です。
Kingfisher(かわせみ)、翡翠とも呼ばれるらしいですが、青色がとても鮮やかです。
光の加減で色が多少違って見えるようで、手前の枝に移った時は濃い目に見えました。
ほとんどその羽(後ろ姿)しか見せてくれませんでしたが、ほんの少しだけ横を向きました。
横向きの写真、しかしまた小さくて見にくいかもしれません。
それにしても、鳥ってどうしてこうも鮮やかな色を持つのかと、不思議で怖くもなってきます。
そして、午後。
同じ木に今度は人が...。
斧を片手によじ登り、枝を切り落とそうとしているようです。こんな恰好のおじさんインドではよく見かけますが、木が折れて落下したりしないだろうかとしばらく見ていました。
この木は、以前のブログ「ゴールデン・シャワー」でも紹介しましたが、初夏には一面満開の黄色い花をつけていました。
しかし、昨年は枯れてしまったようで、花は咲かず、葉も落ちて丸坊主になってしまい、そしてこのように人間に持って行かれることになって、どんどん小さくなっていきそうです。
このおじさんはある程度、斧で打ち削った後、木から降り、枝にかかっていたロープを引っ張り枝を落としました。かなり大きく、小枝も多くついていました(写真の斧があたっている部分が切り落とされたところ)。
切り離された時には、小枝が四方に飛び、大本の木の方も反動でゆさゆさと揺れ、
その後数名の男性がやってきて枝を運んでいました。
...ほんの数時間前にはこの木でカワセミが日光浴をしていたんだよな〜〜
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アーユルヴェーダ
http://ayakoondes.exblog.jp/7252003/
2008-01-11T22:47:00+09:00
2008-01-13T19:46:00+09:00
2008-01-12T02:18:51+09:00
ayako-ondes
Ayurveda★アーユルヴェーダ
特に、何か事があるとそれをぜひ書きたいと思うし、写真もたくさん載せたいと思うのですが、そうなるとまとまった時間が必要となり...。
しかし、書きたい事がある時は、たいてい頭も身体も活性化している時なので、
書くためにパソコンの前に落ち着く時間が必然的に減ってしまいます。
おもしろいもので、書きたいことがある時ほど、いろいろな波が押し寄せてきて、
集中したいことややりたいことが増えてしまいます。
今、いくつか書きたいことがたまっています。
記憶も気持ちも新鮮なうちがいいのですが、そうこうしているうちに、
どんどん事が進んできているので、私も一緒に走っています。
ところで話しは変わって、先日、アーユルヴェーダのドクターに会って、少し相談してきたことを1/3のブログに書きました。。そこはかなり興味はあるものの、感覚的に、何かピンとくるところまではもう一歩の感があって。
いつものように、こういう時には、うっすらと不安にさせる気持ちが生じてくるものです。
頭で考えるよりも、持ち前の嗅覚に頼る方が当たるというもの。
更に、神様も応援してくれるのか、ストップさせる何かがタイミングよくやってきたりもします。
今回も、ストップがかかったと言えばかかったのかもしれません。
本来腰を治そうとしていたのが、今度は首をおかしくしてしまったために、
元のさやにおさまった腰はさておいて、まずは緊急に首、腰はその後...と順番が変わりました。
その間に、バッバールさんなどからも情報を集めたりしていたところ、いわゆる整体と鍼を取り入れているアーユルヴェーダの、それも背骨が専門のドクターに知り合う事ができました!!
キャッホー
しかも、歩いて行ける隣の町内にそれはあります。
年早々にして1年分の欲しい物を手にいれた気持ちです。
運をここで全て使い果たしてしまっていたとしたらちょっと悲しいけど...。
さすがはアーユルヴェーダのドクター、この先生の場合は、、お祖父さんから、お父さんから...とその知識を伝承されてきたのだそうです。
スピリチュアルなものを読める人の目って、どことなく目の奥で物を見て感じている雰囲気がするのですが、このドクターもまさに!!
初診の日は、身体がいつまでもポカポカ。
背中にある、温かくなるというツボをドクターが手で擦ったそうです。よく寝れました。
その他、簡単な整体らしきものと、数種類のハーブをその場で調合、5日分もらってきました。
バッバールさんも足が痛いというので、一緒に行って診てもらいました。
バッバールさんは、そのドクターに自分のヒーリング・ミュージックのCDを渡しました。
普通のお店でも売っていますが、バッバールさんは自分自身では売らないで本当によく配っています。会う人会う人に。
時には手紙と一緒に送って、ぜひ感想を聞かせて欲しいと書いて...。そして本当に感想が送られてきた時には、とても喜んでそれを読んでいます。
もちろん普通にこれに興味を持って、買ってくれたらそれはそれでとてもありがたいことです。
しかし、何が一番大切なのか、その線は常に揺るぐ事なく、決して狂う事はありません。
私はこのドクターのところへ3日続けて通院することになりました。
2日目は、前日とはまた違うやり方で整体らしきものと、何かハーブのようなものを腰の方に貼られました。
そして3日目目が今日でした。
今日は他の患者が一人もいなかったので、ドクターと少し話しができました。
ドクターから色々と話しをしてきました。まずは体調について、
「ぐっすり寝れるようになりましたか?」
しっかりと寝れないとはこのドクターには言ってはいなかったのにどうしてわかったのか?
しかし、その通りで、かなり深い、ベットの底まで落ちたかのような眠りで、なかなか起きれないくらいでした。
「バッバールさんは元気になった? 日本では整体をやっている人は多い?」などなど。
そして、バッバールさんのことを、一目見た時に「とってもエネルギーがある人で、常に新しい事をしようとしている。」と一瞬にして感じたと言います。
更に、このドクターはハーモニウムが好きだけど、弾き方がわからないので、もしもバッバールさんが良ければ習いたい、スタジオへも来てみたいと言います。
「ぜひぜひ〜!! いつでも来てくださーい 」
何か通じるところを感じる人同士が互いに知り合って、更に人が人を呼んでいったら、
素敵な世界になるぞ〜〜
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