人気ブログランキング | 話題のタグを見る

インドでの日々を綴る


by ayako-ondes
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
長らくブログを休んでいましたが、心新たに新ブログを開始します。
この間、多くの方々にご心配おかけしました。誠に申し訳ありません。
今後ともおつきあい頂けるようでしたら、再びよろしくお願いいたします。


新ブログ   インド & オンド / INDO & ONDES
       2008/12より開始

当ブログ   'Ayako's Daily Life in Delhi’
       2006/04〜2008/04までの記事 


またウェブサイト(現在は英語版のみ)をオープンしました。
順次、内容を更新追加していきます。こちらもよろしくお願いいいたします。

ウェブサイト   Ayako Hase Official Website
# by ayako-ondes | 2008-12-18 00:00 | Diary★日記

未来賛歌

チプカリーがまたまた部屋の窓に這いつくばる季節となりました。
1ヶ月以上ご無沙汰していましたが、その間に、デリーは完全に夏となりました。

チプカリーとは、ヤモリのことです。
夜、キッチンで何かしていると、窓が明るいせいかヤモリが数匹、窓にペタペタと登場します。
時々動くので、その度に私の気もちもそちらへと移ります。
横目で、決して見たいとはいえないヤモリの腹部を見ることになります (^_^ ;)
あまり大きくならないで欲しいです〜〜。
太ってくると、お腹にぽたっとした質感が出てきてリアリティーが増してきそうなので(冷)。
今、かろうじて平気なのは、窓ガラスがかすりガラスではっきりとは見えないということと、
チプカリーがここにいるということは、部屋に侵入してきそうな虫を防いでいてくれている...と考えると、ありがたくも思えてくるからです。


さて、久々のブログが、予定外のチプカリーの話しで始まってしまいました。しかし、今日書きたかったのは... そろそろ本題に入ります。


現在のデリー、いろんなことが動いるのが目と肌で感じられます。
メトロや道路の工事は至る所で進んでいます。見るからにごった返していて、道路は混むし、埃っぽい上、歩きづらいです。
数々のショッピングモールが建設され、閉じる店よりも新たに開く店が圧倒的に増えています。
バスもこれまでの窓無しのオンボロから、日本で見るような新しい奇麗なバスも走りはじめています。
経済の波に乗りたい人が大多数でしょう。貧困の差がとっても大きいインドでは、お金があると無いとではどれだけの違いがあるのか、それは現実としてあらゆる場面で明白です。
自己啓発セミナーなる団体や組織活動も活発化してきている様子です。しかし内容的にはお金稼ぎが第一のような...。
家族の絆はとても強く、子供への期待と教育にも相当熱が入っているようにも感じられます。


このたび、立て続けに私立の学校の1年のまとめのファンクション(催し物)に伺う機会がありました。いずれもデリーでも指折り優秀な学校のようです。
また、このたびわかったことに、この手の学校はデリー等のインドの大都市にはかなり多くあるようです。組織的に経営されていたりします。


インドの結婚式を例にとっても明らかなように、催し物好きで、その手のことには開催する立場でも参加する立場でもいずれもにとても慣れているインド人、スクールファンクションも半端じゃありませんでした。

ステージ&客席作りから、音響、照明、その他ケータリング等々、プロのイベント業者が入ります。


昨日の学校は、学校の敷地に入るなりすごい数の鉢植えに花が咲誇っていて、それだけでも圧倒されました。
これだけの花に囲まれているなんて素敵な学校! 招かれた人々は口々に感嘆の声をもらしていました。


本会場までの道には、レッドカーペットが敷かれ、その上を歩くことになりました。
生まれて初めてだったりして...。両脇には幼稚園か1年生くらいのまだまだ小さな子供達が「グッド・イーヴニング・サ〜」「ウェルカム・マ〜ム」とニコニコと、あるいは少し緊張もしながら手を振って迎え入れてくれます。
このあどけなさ、なんて純真なんだろう、もうカワイイばかりです。


会場には立派な野外特設ステージが作られていました。仮ステージのような弱々しいものではなく、下手上手のスペースも壁でしきられた本当にしっかりとしたものでした。
客席はゆったりとしたソファーが並び、一面絨毯が敷かれています。
たぶん普段はグランドなんだと思います。まるで応接間にいるような気分です。
テーブルには、次々と飲み物やスナックが運ばれてきます。

舞台上は、歌に始まり、数々のダンス、その後校長先生のスピーチ、そして各授賞式などが続きます。各教科、各部門で優秀な成績をとった生徒さん達が表彰されます。
女の子の活躍が目立ちました。そして皆勤賞なるものもありました。


印象的だったのがダンスです。音楽も振り付けもこのためにオリジナルに作られたものです。
ひとつはインドのお祭りを描写したものでした。
様々な地方の鮮やかな服装と装飾を装って、それぞれのキャラクターになりきって踊ります。
ステージの後方には、インドの各地方の食べ物の屋台が作られ、また、ステージの上手には、移動遊園地などで見られる簡易式の観覧車が設置され、小さな子供達が乗ってクルクルと回って遊んでいます。これらも全部ダンスの一部となっています。
そしてステージの広場では、インドの様々な街の日常生活が、ダンスで繰り広げられます。インド人の生活や、人情や、各地方の特色が、色彩、デザイン、動きと表情で描かれ、インドの個性豊かな多文化がこの一つのステージに凝縮されてカラフルに放出されます。
インド人はダンスや歌が大好きで、恥ずかしがっていたりする子供は皆無で、みんな生き生きと自然に表現されていました。

本当に上手で、役になりきった動きと表情。心から自分の役を楽しんで、観客にサービスしている様子が、観ている人々をとても幸せにしました。
ゲスト席の誰もがその魔法のような世界に連れていかれました。
微笑みを浮かべ「いや〜、素晴らしい」「テレビや映画で観る何よりも素敵で大切なものがここにある」と、自然と互いに目と目を合わせたくなります。
両脇の人々と共感したくなり声をかけあいます。
そこに居合わせた誰もが、生きる本質と喜びを感じ取ったようでした。

私も、自分が嬉しくてふわふわと浮いているようでした。幸福感に包まれるというのは、心も身も「軽い」感触になるのかなと、このような印象は初めて受けたかもしれません。
全く押し付けがましくなく、しかし十分に伝わり、全員の喜びが夜空の月へとほわ〜っと登って行き、夢のような時間が終わりました。貴重なありがたい体験でした。


これが隅々まで行き届いた教育なのかもしれない...。 
次の演目へ移るちょっとした準備時間でさえも、安心感がありました。
とても良くオーガナイズされているということもあると思いますが、
全くせせこましくなくて、根底にどっしりと安定したものがあるように感じます。
それは、この学校の先生達と、学校を守っている人々、そして子供達の家族、そういう人たちの「愛」なのかもしれません。


そしてもうひとつ、上級クラスによるダンスも心に残りました。
これは、自然界の五大要素、空、風、火、水、地を表現したものでした。
この題材は、インドではしばしば選ばれるようです。数週間前に訪れた学校でも同じテーマでのダンスがありました。
衣装も各要素で色もデザインも分けられ、ステージ上での踊りは、真上に設置されたカメラで、ステージ後方の巨大スクリーンに同時に映し出され、まるで万華鏡をのぞいているように美しかったです。

公演後、衣装を近くで見ると何ということない案外簡単なものでしたが、踊っている最中には、照明の効果と、振り付けとピタリと合ってとても上品で美しく見えました。
中でも、「地」を表わしたグループが、最後まで低い姿勢で踊り続けたこと、そして、スクリーンのすぐ手前の中心(五大要素の後方)は一段高くなり、そこでゆっくりとした動きで表わされた男女二人の愛のダンスが印象的でした。
ストーリー性があり、段階的で、淡いところから官能的なところまで、知らずに創れない。
日本の学校でも、この手のものが演じられるのだろうか?とふと思いました。
変な意味ではなく、「カーマ・スートラ」が頭に浮かんできました。
インドの大昔からの長い歴史の中に、しっかりと根付いている「性の文化」とでも言うのでしょうか...。
普段の様々な場面で時々感じますが、「性」や「タブー」の捉え方がインドと日本では異なるように思います。うまくは言えませんが、日本では「性」を嫌らしくとらえる面もあるというか、はたまた、悪いこととまではいかないのだろうけど、何か隠す面が多いような気もします。
インドは変な意識でなくよりオープンで、人間が生きる上で、自然の五大要素と共に大切に考えられているようにも感じられます。
感覚的にとても大人のダンスで、「人間のありかた(根源)」を考えさせられました。


これだけのものを創りあげるには準備から相当な時間とエネルギーを要することと思います。また、先の別な学校では、招待状からプログラム等々、すべて奇麗な紙で手づくりされたとても凝ったものでした。そしてそこでも、自然体で堂々と演じきる様子、演じる子供達の笑顔と、きらきらと輝く目でとても幸福な気持ちにさせもらったのでした。


...未来が輝いてきますね。
# by ayako-ondes | 2008-04-13 23:53 | Diary★日記

どうしてインド?

「どうしてインドへ?」という質問は、こちらで知り合った人たちからも、
日本の方々からも時々受けます。
簡単に答えられるといいのですが...。ある時インドが浮上し、偶然インド繋がりの事柄が
多数重なりました。答え始めるくどくなりやすく、自分でもこういう場で表わすには
どうしたものかと思ってしまいます。
しかし、インド生活2年を経過した今、ひとつの仕切りの意味でも結果と照らし合わせ、
次に進みたいと思っている最近です。



  で、ですね〜、今回のブログ長いです(泣)。




「インドに一人旅でもしてきたら? 頭が溶けていいんじゃない?」と友達から言われたのは
2004年のことです。当時は、もちろん冗談としかとらえていなくて、インドはと〜っても遠い
存在、まさか住む事になろうとはコレッポチも考えませんでした。



ところが翌2005年、インドに繋がることが自分の身に多く浮上してきました。
以下、順不同ですが...。



<音楽つながり>

・1999年に出会って即魅了され、始めた楽器「オンド・マルトノ」。
 2001年から演奏活動を始め、ソロやアンサンブル、ダンスやヴォイス、朗読とのコラボ
 等行ってきましたが、今後何か自分のオリジナルなものも持ちたいと思いました。
 たまたま、オンドのソロで「ラーガ」という曲を弾いてみたら、自分にハマって表現が
 しやすく、オンドとインド音楽の組み合わせから生じる独特な雰囲気もとてもおもしろく
 感じました。自分のオリジナルなオンドの世界にインド音楽の要素も加えられたら…という
 思いが生じます。ちなみに、この作品はフランスの作曲家によるものですが、インド音楽の
 音階(ラーガ)と、インド音楽の醍醐味である即興演奏を取り入れたものです。

・更に「ラーガ」に興味がわきます。調べた限りでは、北インド音楽の旋法(音階のようなもの)で、
 自然や時間や季節や感情とともに作られるということがわかりました。 といいますか、
 何を言っているのかさっぱりわからないけれど、それだけに知りたいと思ったのが正直なところ。
 そこには、人間の魂を奏でるという「オンド・マルトノ」と、人間の奥深い、根源的なところで、
 何かつながるものがあるだろうという期待もありました。西洋音楽とは何か違うもの、
 これまでの自分の体験や経験と違う、新たなもの、新たな価値観にも出逢えるのではという予感。



<自分に関して>

・ 自分には何か欠けている、何か不足していると感じていて頭がモヤモヤ。
 インドに長く住んだことのある友達からは、インド行きを勧められます。
 自分より他人の方が見えていることも多いから、漠然と、頭のどこかで「ふ〜ん」、と思う。
 要するに、いつものように頭がぼ〜っとしているだけでした...。



<タゴールつながり>
・アジア初のノーベル文学賞を受賞したインドの巨匠ラビンドラナート・タゴール。
 彼は、詩、戯曲、物語等の作家としてだけでなく、画家でもあり、音楽家でもあり、
 役者でもあり、教育者でもあり、ある意味政治家でもあり宗教家でもあり、そして
 それら全てにおいて長けていた(新しいものを生み出した)早熟な芸術家。
 彼が、生前、マルトノの作者モリス・マルトノと交流があり、モリスは、インド音楽の演奏可能な
 特別仕様のオンドを作っていたことを知りました。完成し“タゴール”と名付けられたその楽器は
 主たるフランスの作曲家たちの見守る中実演されます。その場に居合わせた作曲家の中には、
 インド音楽に興味を抱き、その後自身の音楽にインド的要素を取り入れたりもしています。
 フランスとインドが、オンド・マルトノによって過去においてつながっている。
 オンドの世界の広がりが感じられて妙に嬉しかったです。
 このエピソードから、インド、そしてタゴールにも興味が湧きます。



<オンド・マルトノに関して>

・ オンド・マルトノの持続と発展のためには、楽器が生まれない限りは進まないと私は思っています。
 人間にも寿命があって、楽器も消耗品である以上、長い目でみての話しです。
 友達尾茂直之さんはオンド・マルトノ製作に興味を持ち、数年前から着手しています。
 そしてこの年、真空管タイプの試作品を作りました。私は10月のヴォイスとダンスとの公演で、
 自分のデジタルタイプのオンドと一緒にそれを使用しました。
 時々コラボさせて頂いているメゾ・ソプラノ歌手の、ライフワークともいえるコクトー絡みの
 企画で、電話がようやくひかれた時代、電波と音声が時々途切れては、切れてしまう会話も含まれた
 企画だったこともあり、真空管のオンドの音を使って時代感を出したかったのです。
 尾茂さんは、楽器を完成させるのことはもちろんですが、作ってからのことをもいろいろと考えて
 いました。楽器が完成したら何らかの形で発表したい。それは自分の楽器を世に出すがためでなく、
 楽器は演奏されて、聴く人の心に届いてこそのもの、それがアートというもの。アーティストとして、
 オンド・マルトノを通じて人々と喜びや思いをシェアしたいという思いからです。
 新たなオンド・マルトノの完成を心待ちにし、オンドの世界が広がることを思いに馳せて、
 自分も少しでも貢献していけたら嬉しいです。



<プロジェクトについて>

・オンドを用いた音楽作りにインドが浮上してきました。
  尾茂さんの友達で、日本に住んでいるインド人より、デリー在住のインド人歌手/作曲家/
 プロデューサーであるバッバル氏を紹介されます。尾茂さんはすでにバッバル氏に会いにデリーへ
 赴き、彼の音楽に涙を流すほど感動して帰ってきていました。今度は私がバッバル氏に会い、
 オンドを聴いてもらうことになりました。楽器を持参し、この夏初めてインドを訪れます。
 人間の心を歌うガザル歌手バッバル氏は、音楽家である以上に人間性を重視し、何よりも
 人々に幸せをもたらすことを知っている人でした。彼は、オンド・マルトノの音、そして
 日本人がこの楽器制作に挑戦していること、更に、その昔、マルトノとタゴールと関連があった
 ことなど、全てに共感し、私がバッバルさんのスタジオでインド音楽を学ぶ事、そして
 オンド・マルトノを使った音楽の制作にも多大な興味を示し歓迎してくれました。
 滞在中、タゴールの博物館があるカルカッタ、そしてタゴールの作った学校や家のある
 シャーンテニケタンにも足を運び、“タゴール”に関連する情報収集にも努めました。
 暑かったし、日本の常識では動かないところだとは実感しましたが、インドもおもしろい
 ような気がしてきました。



そこで、
基本的に地に足がついていないといいますか、自分の居場所が変化することには抵抗なく、
むしろ新しい地に好奇心もそそられる、そんな性格も手伝って、2006年1月、約4年8ヶ月住んだ
東京からデリーへ移ることになりました。
バッバルさんのスタジオ(Satish Babbar Creative Music Foudation)にてインド音楽を学び、
時々スタジオに持ち込まれる企画の演奏や制作を手伝いつつ、オンド・マルトノを取り入れた音楽を
バッバルさんに作って頂く。私はそれを楽譜に書き留め、演奏と制作で手伝うことになりました。



長くなりましたが、以上が大筋です。それ以外のものについては、自分の意識を超えたもので、大人げない自分に、人並みに足りないものを補うには...と、神様が導いてくれたのかもしれません。
私はただただ、これら一気に押し寄せたインドへの波に身を任せたというわけです。



<おまけ>

・時々仕事つながりで、ありがたくもご縁を頂くことがあります。当時、お世話になっていた渋谷の
 Hakuju Hallでもそうでした。同ホールにて、歌手の米良美一さんのコンサートが企画されました。
 公演では、歌う前にあらかじめ収録された米良さんによる詩の朗読を流すことになり、
 そのBGMに、ご本人の希望と企画担当者の機転によって、オンドが使われることになりました。
 それがきっかけとなり、2005年9月に発売されたCD「ノスタルジア〜ヨイトマケの唄」
 参加させて頂きました。米良さんは、人への思いやりとホスピタリティーが非常に強い方で、
 音楽家として、また生き方において、大切なものを気付かせてくださいました。
 更に米良さん行きつけの(?)占星術師をご紹介頂き、興味本位でみてもらいました。すると
 「精神の座は海外にあり、2006年の2月中旬まではアート系、スピリチュアル系の幸運や
 思いがけない不思議な展開が生まれる」と出て、インド行きもポンと背中を押された感じです(笑)。




    進行状況と2年間の成果は後日ご紹介します。
# by ayako-ondes | 2008-03-05 13:50 | Ondes Martenot★オンド・マ

Love & Joy

前回の記事で、書き忘れました
パンフレットに手書きによるシャンカル氏の素敵なメッセージがありました
やはり彼の演奏に接したいですね




      The magic in music happens only
    when the artist serves it with love
    and joy - and the listeners receive it
    with the same spirit.



         Ravi Shankar
          Feb. 18. 2007.
# by ayako-ondes | 2008-02-25 23:23 | Music★音楽
ニューデリーのラヴィ・シャンカル・センターにおいて、22日〜25日まで「故ジョージ・ハリスン生誕65周年祭」(Dedicated to the Late George Harrison on his 65th Birth Anniversary)が開催されている。


23日には、ババッルさんの友達であり、先日スタジオで会ったばかりのバーンスリー奏者Ajay Prasanna氏が出演するということもあって、ババッルさんと、グルプリートと、もう一人の知人と聴きに行く事になった。


ラヴィ・シャンカル、インドのシタールの巨匠で今年4月には88歳になる。
ビートルズとの交流や、その他西洋音楽の巨匠たちとの共演、共作等々、
インド古典音楽の演奏のみならず、幅広いジャンルのシタール音楽を生み、
また全世界で演奏してきた。
インド音楽を、そしてシタールという楽器をインターナショナルに広め、ファンも多い。
神様的存在である。

また、娘さんアニューシュカもグローバルなシタール奏者として国際的に活躍中、
そしてもう一人の娘さん、歌手のノラ・ジョーンズといい... すごい音楽ファミリー。



会場のラヴィ・シャンカル・センターはニューデリーの中でも最もハイソな地域、
各国大使館が集まるチャナキャプリにある。私も訪れるのは初めてであるが、全員そうだった。そこでまたとんでもないことに...。


目指すはチャナキャプリ。それはそれでいいのだが、この地域は本当に広く、
またひとつひとつの大使館の敷地が異常に広いので、地図を見ながら方向を確認するにも、
隣の大使館がどこの国の大使館なのか、それを確かめるのにも一苦労。
歩いて簡単に探せるような距離ではないのである。
ましてや、土曜日、暗くなってくると、あまり人通りも多くはない。
私は地図を見る事が好きなので、自分だったら前もって調べておくのだが、
今回は場所をあらかじめ聞いていなかったので、ただ連れられて行動している。
そして、バッバルさんにしてもグルプリートにしても、大方のインド人は、常に、
その場所に行ってそこにいる人に尋ねるのが一番という頭だ。
何回も聞きまくり、その度にぐるぐる回り、その果て、最終的にはたどり着くというもの。
私にはこれがとっても無駄に感じられて好きではないので、ノー・プロブレムと言われようが、
何と言われようが、場所を聞き出しておいて調べてくるんだった...。



そして、ようやく7時過ぎに到着。外国人も多いし、そんなに大勢で埋め尽くされているというわけでもなかった。しかし、建物といい、ロケーションとといい、引き込まれる
雰囲気でとっても素敵だった。そして会は6時にすでにスタートしていた。
1時間ほど遅れたところで、いつものこと。半分聴くつもりなのだろうなと軽く考えていが。
着いたとともにちょうど曲が終わり拍手。
そして「それではこれより10分間の休憩です」とのアナウンスがあった。
グルプリートに、この後、また彼らは登場して演奏するかと聞くと
「Maybe. I think so.」との返事。その割に、バーンスリーは袋にしまわれ、またタブラも片付けが始まり、少し不安になる。


ともかく、演奏者のところへ挨拶に...。
バッバルさんとステージ下手の奏者のいるところへと向う。
その途中、ソファに一人のおじさんが座っていた。


ババッルさんはその人を見て、その人もバッバルさんを見て、お互いとっても穏やかに挨拶しあった。二人の間には、とても親密かつ尊敬しあった自然な礼儀正しさが感じられた。とても静かだが、温かい対面に見えた。
出演者やその他の入れ替わりの聴衆などで騒然としていた中、ここだけは別世界のようだった。


と、その様子を、しっかりと監視しているおばさんがすぐ近くの観客席にいた。
白い小さなカワイイ犬を抱いたその人は「師匠は今体調がよくないから、関係者以外はここから先には入れないように。さもなくば、師匠を控え室の方へ連れて行って....」と何やらかんやら訴えている。


まさに彼が、ラヴィ・シャンカル。カリフォルニアに住んでいるはずだが、このためにデリーに来ていたのか! まさか彼がここに来ているとは全く思いもしなかったので驚いた。
しかたなくなのか、本当に体調がすぐれないのか、その声を聞いたシャンカル師も、それに従い控え室へと移動してしまった。


偉業を成し遂げているその大きな活動とは反対に、印象は小さなおじいさんという感じだった。


そして、懸念通り、後半は違う演奏者のステージへと変わってしまった。
先回のバーンスリーのチョウラシアの時と全く同じパターン。
今回もバッバルさんは録音するようにと、私はMDを用意していたのだった。
奏者の人たちにも合わせる顔がない、恥ずかしいし、それに何よりも聴きたかった。


ところで、このラヴィ・シャンカル・センターは彼の資料館としても、また財団としての機能もしている。たくさんのシャンカル師のコンサートポスターや写真や賞状などが展示されている。
詳しくはココのサイトをご覧ください。彼のシタールとともにサイトが開きます。


また、センターでのコンサート模様はココを! とっても素敵な建物、そしてこんな雰囲気でした。

そしてオマケに、そのカワイイ白い犬は、たぶんこの中の8番目の写真に写っている犬だったと思います。


1時間ほど聴いて、我々は次の予定の知人の結婚式へと向わなければならない。
シャンカル師はその特別に用意されたソファに座って聴いている。
ババッルさんももう一度彼と話したかったが、途中で話しかけるのも悪いので、
泣く泣くまた次の機会を願って、会場を後にした。


いつか、シャンカル師の演奏を生で聴きてみたい。
# by ayako-ondes | 2008-02-24 23:10 | Music★音楽