「どうしてインドへ?」という質問は、こちらで知り合った人たちからも、
日本の方々からも時々受けます。
簡単に答えられるといいのですが...。ある時インドが浮上し、偶然インド繋がりの事柄が
多数重なりました。答え始めるくどくなりやすく、自分でもこういう場で表わすには
どうしたものかと思ってしまいます。
しかし、インド生活2年を経過した今、ひとつの仕切りの意味でも結果と照らし合わせ、
次に進みたいと思っている最近です。
で、ですね〜、今回のブログ長いです(泣)。
「インドに一人旅でもしてきたら? 頭が溶けていいんじゃない?」と友達から言われたのは
2004年のことです。当時は、もちろん冗談としかとらえていなくて、インドはと〜っても遠い
存在、まさか住む事になろうとはコレッポチも考えませんでした。
ところが翌2005年、インドに繋がることが自分の身に多く浮上してきました。
以下、順不同ですが...。
<音楽つながり>
・1999年に出会って即魅了され、始めた楽器「オンド・マルトノ」。
2001年から演奏活動を始め、ソロやアンサンブル、ダンスやヴォイス、朗読とのコラボ
等行ってきましたが、今後何か自分のオリジナルなものも持ちたいと思いました。
たまたま、オンドのソロで「ラーガ」という曲を弾いてみたら、自分にハマって表現が
しやすく、オンドとインド音楽の組み合わせから生じる独特な雰囲気もとてもおもしろく
感じました。自分のオリジナルなオンドの世界にインド音楽の要素も加えられたら…という
思いが生じます。ちなみに、この作品はフランスの作曲家によるものですが、インド音楽の
音階(ラーガ)と、インド音楽の醍醐味である即興演奏を取り入れたものです。
・更に「ラーガ」に興味がわきます。調べた限りでは、北インド音楽の旋法(音階のようなもの)で、
自然や時間や季節や感情とともに作られるということがわかりました。 といいますか、
何を言っているのかさっぱりわからないけれど、それだけに知りたいと思ったのが正直なところ。
そこには、人間の魂を奏でるという「オンド・マルトノ」と、人間の奥深い、根源的なところで、
何かつながるものがあるだろうという期待もありました。西洋音楽とは何か違うもの、
これまでの自分の体験や経験と違う、新たなもの、新たな価値観にも出逢えるのではという予感。
<自分に関して>
・ 自分には何か欠けている、何か不足していると感じていて頭がモヤモヤ。
インドに長く住んだことのある友達からは、インド行きを勧められます。
自分より他人の方が見えていることも多いから、漠然と、頭のどこかで「ふ〜ん」、と思う。
要するに、いつものように頭がぼ〜っとしているだけでした...。
<タゴールつながり>
・アジア初のノーベル文学賞を受賞したインドの巨匠ラビンドラナート・タゴール。
彼は、詩、戯曲、物語等の作家としてだけでなく、画家でもあり、音楽家でもあり、
役者でもあり、教育者でもあり、ある意味政治家でもあり宗教家でもあり、そして
それら全てにおいて長けていた(新しいものを生み出した)早熟な芸術家。
彼が、生前、マルトノの作者モリス・マルトノと交流があり、モリスは、インド音楽の演奏可能な
特別仕様のオンドを作っていたことを知りました。完成し“タゴール”と名付けられたその楽器は
主たるフランスの作曲家たちの見守る中実演されます。その場に居合わせた作曲家の中には、
インド音楽に興味を抱き、その後自身の音楽にインド的要素を取り入れたりもしています。
フランスとインドが、オンド・マルトノによって過去においてつながっている。
オンドの世界の広がりが感じられて妙に嬉しかったです。
このエピソードから、インド、そしてタゴールにも興味が湧きます。
<オンド・マルトノに関して>
・ オンド・マルトノの持続と発展のためには、楽器が生まれない限りは進まないと私は思っています。
人間にも寿命があって、楽器も消耗品である以上、長い目でみての話しです。
友達
尾茂直之さんはオンド・マルトノ製作に興味を持ち、数年前から着手しています。
そしてこの年、真空管タイプの試作品を作りました。私は10月のヴォイスとダンスとの公演で、
自分のデジタルタイプのオンドと一緒にそれを使用しました。
時々コラボさせて頂いているメゾ・ソプラノ歌手の、ライフワークともいえるコクトー絡みの
企画で、電話がようやくひかれた時代、電波と音声が時々途切れては、切れてしまう会話も含まれた
企画だったこともあり、真空管のオンドの音を使って時代感を出したかったのです。
尾茂さんは、楽器を完成させるのことはもちろんですが、作ってからのことをもいろいろと考えて
いました。楽器が完成したら何らかの形で発表したい。それは自分の楽器を世に出すがためでなく、
楽器は演奏されて、聴く人の心に届いてこそのもの、それがアートというもの。アーティストとして、
オンド・マルトノを通じて人々と喜びや思いをシェアしたいという思いからです。
新たなオンド・マルトノの完成を心待ちにし、オンドの世界が広がることを思いに馳せて、
自分も少しでも貢献していけたら嬉しいです。
<プロジェクトについて>
・オンドを用いた音楽作りにインドが浮上してきました。
尾茂さんの友達で、日本に住んでいるインド人より、デリー在住のインド人歌手/作曲家/
プロデューサーであるバッバル氏を紹介されます。尾茂さんはすでにバッバル氏に会いにデリーへ
赴き、彼の音楽に涙を流すほど感動して帰ってきていました。今度は私がバッバル氏に会い、
オンドを聴いてもらうことになりました。楽器を持参し、この夏初めてインドを訪れます。
人間の心を歌うガザル歌手バッバル氏は、音楽家である以上に人間性を重視し、何よりも
人々に幸せをもたらすことを知っている人でした。彼は、オンド・マルトノの音、そして
日本人がこの楽器制作に挑戦していること、更に、その昔、マルトノとタゴールと関連があった
ことなど、全てに共感し、私がバッバルさんのスタジオでインド音楽を学ぶ事、そして
オンド・マルトノを使った音楽の制作にも多大な興味を示し歓迎してくれました。
滞在中、タゴールの博物館があるカルカッタ、そしてタゴールの作った学校や家のある
シャーンテニケタンにも足を運び、“タゴール”に関連する情報収集にも努めました。
暑かったし、日本の常識では動かないところだとは実感しましたが、インドもおもしろい
ような気がしてきました。
そこで、
基本的に地に足がついていないといいますか、自分の居場所が変化することには抵抗なく、
むしろ新しい地に好奇心もそそられる、そんな性格も手伝って、2006年1月、約4年8ヶ月住んだ
東京からデリーへ移ることになりました。
バッバルさんのスタジオ(Satish Babbar Creative Music Foudation)にてインド音楽を学び、
時々スタジオに持ち込まれる企画の演奏や制作を手伝いつつ、オンド・マルトノを取り入れた音楽を
バッバルさんに作って頂く。私はそれを楽譜に書き留め、演奏と制作で手伝うことになりました。
長くなりましたが、以上が大筋です。それ以外のものについては、自分の意識を超えたもので、大人げない自分に、人並みに足りないものを補うには...と、神様が導いてくれたのかもしれません。
私はただただ、これら一気に押し寄せたインドへの波に身を任せたというわけです。
<おまけ>
・時々仕事つながりで、ありがたくもご縁を頂くことがあります。当時、お世話になっていた渋谷の
Hakuju Hallでもそうでした。同ホールにて、歌手の米良美一さんのコンサートが企画されました。
公演では、歌う前にあらかじめ収録された米良さんによる詩の朗読を流すことになり、
そのBGMに、ご本人の希望と企画担当者の機転によって、オンドが使われることになりました。
それがきっかけとなり、2005年9月に発売されたCD
「ノスタルジア〜ヨイトマケの唄」に
参加させて頂きました。米良さんは、人への思いやりとホスピタリティーが非常に強い方で、
音楽家として、また生き方において、大切なものを気付かせてくださいました。
更に米良さん行きつけの(?)占星術師をご紹介頂き、興味本位でみてもらいました。すると
「精神の座は海外にあり、2006年の2月中旬まではアート系、スピリチュアル系の幸運や
思いがけない不思議な展開が生まれる」と出て、インド行きもポンと背中を押された感じです(笑)。
進行状況と2年間の成果は後日ご紹介します。