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by ayako-ondes
| 2008-01-01 09:31
| Diary★日記
昨年夏、90歳の生涯を閉じたシャーナイ(shehnai)奏者のUstad Bismillah Khan(ウスタド・ビスミラー・カーン)氏。
インドのオーボエとも言われるこの楽器を国際的にも広めたのはまさにこのビスミラー・カーンの貢献が大きいそうです。
彼の名は国際的にも広く知られ、また、インドでも伝説的音楽家として親しまれています。
私たちは、彼が亡くなられたその日、スタジオでご冥福を祈りみんなで黙祷したのでした。
その後、いくつかのコンサートへ行く機会がありましたが、ほとんどのコンサート会場において、ステージ上に、ビスミラー・カーン氏の演奏している写真が飾られているのを目にしました。
それらを見るにつけても、どれだけインド国民が彼を尊敬し、彼の音楽を愛していたかが伺え熱いものを感じました。
今日のバッバルさんは朝から興奮気味です。というのも、そのビスミラー・カーン氏のお孫さんのウスタド・ファテ・アリ・カーン(Ustad Fateh Ali Kahn)氏が、今晩このスタジオへやってきて、シャーナイの録音をするというのです。絶対Ayakoも聴くように...と言われていました。
夜9時を回って、ファテ・アリ・カーン氏はハーモニウム奏者とともにスタジオへやって来ました。
まずは、挨拶。初対面のカーン氏は飾らない素朴な雰囲気でした。
一息ついたところで、ハーモニウム奏者、そしてタブラ奏者とともに、音合わせとマイクチェックが始まります。
カーン氏は音合わせに関してはとても入念で、その眼差しはだんだんと鋭くなっていきます。
そして、音出しを始めると、更に真剣さが加わります。
徐々に集中力が高まっていくのが側にいてビリビリと感じられるのです。
そして、いよいよ演奏です。
インド音楽の醍醐味である即興の妙を見事に聴かせます。
ハーモニウム、そしてタブラ奏者との掛け合いも、寄せては返す波のように高揚感が増します。
時にハッとさせられるのは、シャーナイの音がまるで人間の声のように聞こえる瞬間です。
音の移り変わり、メロディーの運びが、流れるようになめらかなので、ひとつひとつの音を吹いている楽器とは思えなくなるのです。
そう、そのハッとした次には、人間の声以上の広範囲な音域を変幻自在に弧を描くシャナイの音。
人間業では到底成し得ない。そして、この音の渦巻きに吸い込まれ、不思議な陶酔感に包まれます。
音に身を任せただただ酔いしれているだけで、いとも簡単に演奏しているかのように聴こえるのですが...。
実際は卓越したテクニックとそして集中力。そこに常に心を重ねているのでしょう。
素晴らしい演奏をまるでホームコンサートのように身近で聴けるなんて、なんとも幸せです。
下の写真は、演奏している部屋と、となりの部屋でくつろいで聴き入る我々...。
5曲のライブ録音が終わったら、すでに夜中の12時を回っていました。
インドでは時間を気にしなくていいところがこういう場合には功を奏しますネ。
それから、みんなで遅い夕食となりました。一緒に食事もできるなんて、ハッピ〜♪
カーン氏のプロフィールを見せて頂きました。この右ページがまた凄いのです。
お父様、そしてお二人のお祖父様も、更にそのお二人のお祖父様のお父様も...全員がシャーナイ奏者なんですね。お父さんとお祖父さんと、ひいお祖父さんという風にのここには9名のお名前が掲載されていました。
まるで歌舞伎の世界みたい。
カーン氏、本日、オーストリアのウィーンでの演奏へ旅立たれたそうです。
クリスマスの夜、ウィーン人々の心をきっと魅了させることでしょう。
インドのオーボエとも言われるこの楽器を国際的にも広めたのはまさにこのビスミラー・カーンの貢献が大きいそうです。
彼の名は国際的にも広く知られ、また、インドでも伝説的音楽家として親しまれています。
私たちは、彼が亡くなられたその日、スタジオでご冥福を祈りみんなで黙祷したのでした。
その後、いくつかのコンサートへ行く機会がありましたが、ほとんどのコンサート会場において、ステージ上に、ビスミラー・カーン氏の演奏している写真が飾られているのを目にしました。
それらを見るにつけても、どれだけインド国民が彼を尊敬し、彼の音楽を愛していたかが伺え熱いものを感じました。
今日のバッバルさんは朝から興奮気味です。というのも、そのビスミラー・カーン氏のお孫さんのウスタド・ファテ・アリ・カーン(Ustad Fateh Ali Kahn)氏が、今晩このスタジオへやってきて、シャーナイの録音をするというのです。絶対Ayakoも聴くように...と言われていました。
夜9時を回って、ファテ・アリ・カーン氏はハーモニウム奏者とともにスタジオへやって来ました。
まずは、挨拶。初対面のカーン氏は飾らない素朴な雰囲気でした。
一息ついたところで、ハーモニウム奏者、そしてタブラ奏者とともに、音合わせとマイクチェックが始まります。
カーン氏は音合わせに関してはとても入念で、その眼差しはだんだんと鋭くなっていきます。
そして、音出しを始めると、更に真剣さが加わります。
徐々に集中力が高まっていくのが側にいてビリビリと感じられるのです。
そして、いよいよ演奏です。
インド音楽の醍醐味である即興の妙を見事に聴かせます。
ハーモニウム、そしてタブラ奏者との掛け合いも、寄せては返す波のように高揚感が増します。
時にハッとさせられるのは、シャーナイの音がまるで人間の声のように聞こえる瞬間です。
音の移り変わり、メロディーの運びが、流れるようになめらかなので、ひとつひとつの音を吹いている楽器とは思えなくなるのです。
そう、そのハッとした次には、人間の声以上の広範囲な音域を変幻自在に弧を描くシャナイの音。
人間業では到底成し得ない。そして、この音の渦巻きに吸い込まれ、不思議な陶酔感に包まれます。
音に身を任せただただ酔いしれているだけで、いとも簡単に演奏しているかのように聴こえるのですが...。
実際は卓越したテクニックとそして集中力。そこに常に心を重ねているのでしょう。
素晴らしい演奏をまるでホームコンサートのように身近で聴けるなんて、なんとも幸せです。
下の写真は、演奏している部屋と、となりの部屋でくつろいで聴き入る我々...。
5曲のライブ録音が終わったら、すでに夜中の12時を回っていました。
インドでは時間を気にしなくていいところがこういう場合には功を奏しますネ。
それから、みんなで遅い夕食となりました。一緒に食事もできるなんて、ハッピ〜♪
カーン氏のプロフィールを見せて頂きました。この右ページがまた凄いのです。
お父様、そしてお二人のお祖父様も、更にそのお二人のお祖父様のお父様も...全員がシャーナイ奏者なんですね。お父さんとお祖父さんと、ひいお祖父さんという風にのここには9名のお名前が掲載されていました。
まるで歌舞伎の世界みたい。
カーン氏、本日、オーストリアのウィーンでの演奏へ旅立たれたそうです。
クリスマスの夜、ウィーン人々の心をきっと魅了させることでしょう。
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by ayako-ondes
| 2007-12-25 02:33
| Music★音楽
とってもキュートなティー・スティックを
お世話になっている歯医者さんから頂きました。
ご夫婦で歯医者さん。
そして息子さんも、きっと数年後には歯医者になるであろう...という
インド人の歯医者さん一家です。
ある日診療に行ったら、お茶の話しで盛り上がってしまいました。
相当話し込んだので、待合室で順番を待つ患者さんはさぞかし痺れを切らしているだろうな〜と
気にもなったのですが、その日ばかりは歯医者さんも話しを続けたのでした。
それというのも、先生はかなりのお茶マニアらしく、家にはお茶のコレクションが棚にびっしりあると言います。たまたま私も、レアもののダージリン紅茶を買った直後で、美味しいお茶は気持ちまでをもリラックスさせてくれる!と実感したばかりだったので、お茶を飲む喜びで話しが一致しました。
更に、センスいいもの、美味しいもの、新しいもの好きで、何でも試してみたいし、常に何かを探しているという点でも波長が合います。歯医者さんのお宅へお邪魔した暁には居座りそうです。って、オイラ誰からも呼ばれているわけではないのよ...。
その先生が、カナダ旅行のおみやげに、このティー・スティックをくださいました。
「ジャスミン・グリーン」。ほっほぅ〜。
私は犬のようでして、パッケージを開ける前からクンクンと匂いを嗅いでみましたが、お茶の匂いはしなくて、歯医者特有の消毒っぽい匂いがいたしました(笑)。
ティーは丁寧に一つ一つが密封されていたのです。
透明のカップに沸騰したお湯を注ぎ、このお茶の入ったメタル・フォイルのスティックを入れると、スティック表面の多数の小さな穴からお茶が、そしてお湯の色がお茶の色に変わっていきます。
見た目も楽しめ、苦くならず、上品な味わい。
数杯飲めて、飲み終わったらそのまま捨てるだけ、後始末もと〜っても簡単!
素敵じゃないですかぁ?!
「インドでは売っていない」そうです。
まさに〜! 残念ながら、このようなセンス、インドではなかなか見つけられません。
そして、なんと、このスティックを発案したのは、カナダ在住の、奥様歯医者さんのご兄弟なのだそうです。ネットでも購入できるようです。
ご興味ある方どうぞ覗いてみてください。 コチラ⇒Petit Tea、ひらけごま。
このジャスミン・グリーンの他にも多数販売されていますし、実際にお茶を出しているスティックの写真もご覧頂けます。
余談ですが…
このスティクをババールさん、録音エンジニアのグルプリート君、最近弟子入りしたスマンちゃんにも持って行ってあげたところ、翌朝、グルプリートから「ハロ〜、マダム...」と電話がありました。
「昨日のお茶だけど、砂糖は入れるのかな〜?」とのこと。
さすがチャイの国、ありがちな質問です。
以前、スタジオのサーバントが中国茶にミルクと砂糖を入れて出してきたことを思い出しました。
甘〜く、スパイスの効いたチャイに慣れていて、コーヒーもミルクが入るのが当然のインド人。
グルプリートには、ジャスミンティは何か物足りなく感じたのかもしれないな〜〜。
茶も文化、ぶんぶくちゃがま...。
お世話になっている歯医者さんから頂きました。
ご夫婦で歯医者さん。
そして息子さんも、きっと数年後には歯医者になるであろう...という
インド人の歯医者さん一家です。
ある日診療に行ったら、お茶の話しで盛り上がってしまいました。
相当話し込んだので、待合室で順番を待つ患者さんはさぞかし痺れを切らしているだろうな〜と
気にもなったのですが、その日ばかりは歯医者さんも話しを続けたのでした。
それというのも、先生はかなりのお茶マニアらしく、家にはお茶のコレクションが棚にびっしりあると言います。たまたま私も、レアもののダージリン紅茶を買った直後で、美味しいお茶は気持ちまでをもリラックスさせてくれる!と実感したばかりだったので、お茶を飲む喜びで話しが一致しました。
更に、センスいいもの、美味しいもの、新しいもの好きで、何でも試してみたいし、常に何かを探しているという点でも波長が合います。歯医者さんのお宅へお邪魔した暁には居座りそうです。って、オイラ誰からも呼ばれているわけではないのよ...。
その先生が、カナダ旅行のおみやげに、このティー・スティックをくださいました。
「ジャスミン・グリーン」。ほっほぅ〜。
私は犬のようでして、パッケージを開ける前からクンクンと匂いを嗅いでみましたが、お茶の匂いはしなくて、歯医者特有の消毒っぽい匂いがいたしました(笑)。
ティーは丁寧に一つ一つが密封されていたのです。
透明のカップに沸騰したお湯を注ぎ、このお茶の入ったメタル・フォイルのスティックを入れると、スティック表面の多数の小さな穴からお茶が、そしてお湯の色がお茶の色に変わっていきます。
見た目も楽しめ、苦くならず、上品な味わい。
数杯飲めて、飲み終わったらそのまま捨てるだけ、後始末もと〜っても簡単!
素敵じゃないですかぁ?!
「インドでは売っていない」そうです。
まさに〜! 残念ながら、このようなセンス、インドではなかなか見つけられません。
そして、なんと、このスティックを発案したのは、カナダ在住の、奥様歯医者さんのご兄弟なのだそうです。ネットでも購入できるようです。
ご興味ある方どうぞ覗いてみてください。 コチラ⇒Petit Tea、ひらけごま。
このジャスミン・グリーンの他にも多数販売されていますし、実際にお茶を出しているスティックの写真もご覧頂けます。
余談ですが…
このスティクをババールさん、録音エンジニアのグルプリート君、最近弟子入りしたスマンちゃんにも持って行ってあげたところ、翌朝、グルプリートから「ハロ〜、マダム...」と電話がありました。
「昨日のお茶だけど、砂糖は入れるのかな〜?」とのこと。
さすがチャイの国、ありがちな質問です。
以前、スタジオのサーバントが中国茶にミルクと砂糖を入れて出してきたことを思い出しました。
甘〜く、スパイスの効いたチャイに慣れていて、コーヒーもミルクが入るのが当然のインド人。
グルプリートには、ジャスミンティは何か物足りなく感じたのかもしれないな〜〜。
茶も文化、ぶんぶくちゃがま...。
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by ayako-ondes
| 2007-12-12 23:30
| Khana★食
ディワリ翌日、11/10のスタジオは...。
昨日のプージャに続いて、本日は機械や楽器のためのプージャが行われました。
そして、プージャの後は、楽器や機械は休養。 休ませるのだそうです。
ただし、
ババールさん曰く、
「それは昔の話し。機械も今ほど発展していなかった。電気も不足気味だった。
そんな時代の話し。今は機械を休ませるなんてとてもできない時代。
コンピューターをストップさせる訳にはいかない。
それに...
ayakoはヒンドゥーではないから、楽器を弾きたかったら弾いても全然構わない。
パソコンも使いたかったらそれも全然構わない。
それぞれ宗教も違えば考えも違うし、そんなのは個人の自由。
でも、自分はヒンドゥーだから、今日はハーモニウムは弾かないで本でも読もう...」
「はぁ〜、そんな日があったのですね〜」
関心しながら聞いていましたが、
どうしてもやらなくてはいけない事がありスタジオへ行く事にしました。
ちなみに、ここまでの会話はババールさんと電話で話した内容です。
そして数分後にスタジオへ着いてみると...
More(続きはココをクリック)
昨日のプージャに続いて、本日は機械や楽器のためのプージャが行われました。
そして、プージャの後は、楽器や機械は休養。 休ませるのだそうです。
ただし、
ババールさん曰く、
「それは昔の話し。機械も今ほど発展していなかった。電気も不足気味だった。
そんな時代の話し。今は機械を休ませるなんてとてもできない時代。
コンピューターをストップさせる訳にはいかない。
それに...
ayakoはヒンドゥーではないから、楽器を弾きたかったら弾いても全然構わない。
パソコンも使いたかったらそれも全然構わない。
それぞれ宗教も違えば考えも違うし、そんなのは個人の自由。
でも、自分はヒンドゥーだから、今日はハーモニウムは弾かないで本でも読もう...」
「はぁ〜、そんな日があったのですね〜」
関心しながら聞いていましたが、
どうしてもやらなくてはいけない事がありスタジオへ行く事にしました。
ちなみに、ここまでの会話はババールさんと電話で話した内容です。
そして数分後にスタジオへ着いてみると...
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by ayako-ondes
| 2007-12-11 21:43
| Diary★日記
先月9日の朝、いつものようにスタジオへと急ぎました。
家を出るとすぐに、プージャ(礼拝)のための花輪や草の飾りを売るリヤカーとすれ違いました。
この日はこのような花売りがたくさん出ていました。
スタジオでもプージャをするので、ババールさんがたくさんの花を買ってきていて、みんなで花を飾りました。日本のお正月のように、この時には新しい洋服を着るのがしきたりのようです。
またプージャは女性が進めるというきまりがあるそうで、ババールさんの奥さんもいらっしゃいました。祭壇の前のお皿にプージャの準備をします。
素焼きでできた神様、そしてディヤにはマスタード・オイルを入れ、細長くよったコットンを浸します。その横には鈴を添え、そしてお菓子も用意されます。
額に付けるティッカも赤い粉を水で溶いて、更にお米を入れて準備されます。さすがインド!!
そのティッカを溶いた水は聖なる水、ガンガー(ガンジス河)の水でした。
ババールさんがガンガーの上流に行った際に汲んできたそうですが、ガンガーの水は何十年置いておいても決して腐らないそうです。
準備が済むと、ディヤに火が灯され、マントラが歌われます。
ババールさんの娘さんのバニーが中心になって歌いましたが、普段歌う歌ではないので、本を見ながら、時々危うくなりながら歌っていました。
昨年のバラナシでのプージャでは、最初にホラ貝を吹くところからはじまってかなり厳格な雰囲気で緊張感もありましたが、今回は、心もとない歌い方で逆に愛嬌があって、なごんだ式となりました。
「何でもありのインドだな」と思いながら聞いていました。
この写真の中央右に見える小さなポリタンクがガンガーの水です。
歌い終わると、みんな、ティッカを額に付けてもらいました。そして軽食を食べます。
私は朝食もしっかり食べてからスタジオへ来たのですが、プージャの後に食べるのが本来のようです。
昼間は厳正なディワリですが、夜になると花火とクラッカーで街中が賑わい始めます。
屋外派は花火、屋内派はカードで本格的に賭けをしたりするようです。
ババールさんのお宅では、今年、親せきに不幸があり、ディワリを祝わないので、ババールさんのお友達の家へみんなでお邪魔することになっていたのですが、ちょっとした訳があって、当日ババールさんは行けなくなりました。そこで、私も行かない事になり、家に引きこもることにしました。そう決まったからには、早めに帰宅しないと...。
お祭り時期にはテロもあったりするし、花火やクラッカーは所構わず打ち上げられるので、危険に感じていました。
すでに数日前から、この日へ向けて、花火やクラッカーは始まっていました。それも誰もが、人に構わず身近で平気で打ち上げるので、注意していないと巻き込まれそうです。
私にとって初めてのディワリであった昨年は、バラナシで過ごしました。
その夜、音は強烈でしたがとても感動的でした。細い路地がまるで迷路のように入り組んだバラナシの旧市街地は、家々が密集しているため、各家庭の屋上から打ち上げられる花火は、夜空に次々と鮮やかに広がり、幻想と悪戯が入り混じるワクワクドキドキ感がありました。
今年は初めてのデリーでのディワリ、どんなものなのか楽しみです。
しかし、やはり帰り道は怖かったです。きっと慣れていないからなのでしょうけれど、日本で打ち上げ花火といったら、普通、打ち上げ場所は侵入禁止になっているし、もっと小さな規模の花火を個人的に行う場合でも、バケツに水を用意しておいたり、人がいるところでは打ち上げないなどなど、みんな気をつけて遊ぶものではないでしょうかね〜。
ところが、インドはそのような安全対策は全く無いに等しく、人がいようといまいとおかまい無し。
身近で打ち上げられる音も凄まじいため、びっくりして悲鳴をあげてしまいます。
悲鳴を上げているのは見渡す限り私だけで、むしろいちいち声をあげていたら、おもしろがられ、どんどん向けられる危険性もあります。ビクビクしながら家に着き、ホッと一息。
しばらくすると、「ハッピー、ディワリ!」と隣の大家さんの子供達がバンバンとドアをノックします。
お菓子を頂き、花火をあげる時間になったら私をも呼んでくれると言います。
夜の9時を回ったくらいから、打ち上げられる花火とクラッカーの音がけたたましくなり、私も外へ出ました。コットンを丸めて両耳につめ、パーカーの帽子をかぶってもまだ音がうるさすぎ、一旦部屋に戻り耳の隠れる帽子をかぶって、更にパーカーの帽子を付けて再度外へ。
それでも、私の耳は、突然の音と、音とともに来る風圧に絶えきれず、絶対悲鳴をあげてしまうのです。
外に居られないので、手持ち花火もできないし、せめても、大家さんのゲストハウスの玄関から外を覗いていました。大家さん一家はみんな、あまりにもビクビクしている私にむしろ驚いている様子でした。最初のうちは「なんでやらないの? 大丈夫、大丈夫」と言っていたみなさんですが、相当駄目な私を見て、「じゃあ、これでも食べていて」と、ナッツやドライフルーツを持ってこられました。しかし、私はいい加減写真を撮ったら、もう部屋に戻りたくて…。全く楽しめるどころではありません。
インド人は「日本人はなんて弱いんだろう」と思ったかもしれません、一方私は「インド人は音に対しての繊細さに欠けるよな〜」と思っていたのでした。
それにしても私は大きな音に極端に臆病なのでしょうか? 部屋に戻ってからも、突然の身近の爆竹音に心臓はドキッとするし、ハッとして声をあげてしまいます。まいりました。
花火は夜の10時までというのがきまりでしたが、それを守った人は果たしていたのか?
夜中の12時を回ってもまだまだひっきりなしに打ち上げられる花火爆竹。しかし、デリーはさすがに道路も広いし、バラナシのように家が密集はしていないので、打ち上げられる花火の光で空が華麗に描かれるとまではいかない。空の広さの方が勝っています。(写真はうまくは撮れませんでした。ご勘弁を〜)
しかし花火の量も半端でないので、外は煙で充満、そして地面には、クラッカーや花火の燃えカスが散らばっています。
2時を回ったので、寝たい時間ですが、まだ花火は止みません。
多数ではないにせよ、音が大きいので寝るに寝れません。
終いには頭にきてしまって、来年のディワリには絶対にインド外に脱出していたいと本気で思う程。
結局、3時を過ぎてもまだ花火はあがっていました。二度目にしてもう懲り懲りのディワリでした。
大家さんのゲストハウスのガネーシャ神にも花飾り…。
家を出るとすぐに、プージャ(礼拝)のための花輪や草の飾りを売るリヤカーとすれ違いました。
この日はこのような花売りがたくさん出ていました。
スタジオでもプージャをするので、ババールさんがたくさんの花を買ってきていて、みんなで花を飾りました。日本のお正月のように、この時には新しい洋服を着るのがしきたりのようです。
またプージャは女性が進めるというきまりがあるそうで、ババールさんの奥さんもいらっしゃいました。祭壇の前のお皿にプージャの準備をします。
素焼きでできた神様、そしてディヤにはマスタード・オイルを入れ、細長くよったコットンを浸します。その横には鈴を添え、そしてお菓子も用意されます。
額に付けるティッカも赤い粉を水で溶いて、更にお米を入れて準備されます。さすがインド!!
そのティッカを溶いた水は聖なる水、ガンガー(ガンジス河)の水でした。
ババールさんがガンガーの上流に行った際に汲んできたそうですが、ガンガーの水は何十年置いておいても決して腐らないそうです。
準備が済むと、ディヤに火が灯され、マントラが歌われます。
ババールさんの娘さんのバニーが中心になって歌いましたが、普段歌う歌ではないので、本を見ながら、時々危うくなりながら歌っていました。
昨年のバラナシでのプージャでは、最初にホラ貝を吹くところからはじまってかなり厳格な雰囲気で緊張感もありましたが、今回は、心もとない歌い方で逆に愛嬌があって、なごんだ式となりました。
「何でもありのインドだな」と思いながら聞いていました。
この写真の中央右に見える小さなポリタンクがガンガーの水です。
歌い終わると、みんな、ティッカを額に付けてもらいました。そして軽食を食べます。
私は朝食もしっかり食べてからスタジオへ来たのですが、プージャの後に食べるのが本来のようです。
昼間は厳正なディワリですが、夜になると花火とクラッカーで街中が賑わい始めます。
屋外派は花火、屋内派はカードで本格的に賭けをしたりするようです。
ババールさんのお宅では、今年、親せきに不幸があり、ディワリを祝わないので、ババールさんのお友達の家へみんなでお邪魔することになっていたのですが、ちょっとした訳があって、当日ババールさんは行けなくなりました。そこで、私も行かない事になり、家に引きこもることにしました。そう決まったからには、早めに帰宅しないと...。
お祭り時期にはテロもあったりするし、花火やクラッカーは所構わず打ち上げられるので、危険に感じていました。
すでに数日前から、この日へ向けて、花火やクラッカーは始まっていました。それも誰もが、人に構わず身近で平気で打ち上げるので、注意していないと巻き込まれそうです。
私にとって初めてのディワリであった昨年は、バラナシで過ごしました。
その夜、音は強烈でしたがとても感動的でした。細い路地がまるで迷路のように入り組んだバラナシの旧市街地は、家々が密集しているため、各家庭の屋上から打ち上げられる花火は、夜空に次々と鮮やかに広がり、幻想と悪戯が入り混じるワクワクドキドキ感がありました。
今年は初めてのデリーでのディワリ、どんなものなのか楽しみです。
しかし、やはり帰り道は怖かったです。きっと慣れていないからなのでしょうけれど、日本で打ち上げ花火といったら、普通、打ち上げ場所は侵入禁止になっているし、もっと小さな規模の花火を個人的に行う場合でも、バケツに水を用意しておいたり、人がいるところでは打ち上げないなどなど、みんな気をつけて遊ぶものではないでしょうかね〜。
ところが、インドはそのような安全対策は全く無いに等しく、人がいようといまいとおかまい無し。
身近で打ち上げられる音も凄まじいため、びっくりして悲鳴をあげてしまいます。
悲鳴を上げているのは見渡す限り私だけで、むしろいちいち声をあげていたら、おもしろがられ、どんどん向けられる危険性もあります。ビクビクしながら家に着き、ホッと一息。
しばらくすると、「ハッピー、ディワリ!」と隣の大家さんの子供達がバンバンとドアをノックします。
お菓子を頂き、花火をあげる時間になったら私をも呼んでくれると言います。
夜の9時を回ったくらいから、打ち上げられる花火とクラッカーの音がけたたましくなり、私も外へ出ました。コットンを丸めて両耳につめ、パーカーの帽子をかぶってもまだ音がうるさすぎ、一旦部屋に戻り耳の隠れる帽子をかぶって、更にパーカーの帽子を付けて再度外へ。
それでも、私の耳は、突然の音と、音とともに来る風圧に絶えきれず、絶対悲鳴をあげてしまうのです。
外に居られないので、手持ち花火もできないし、せめても、大家さんのゲストハウスの玄関から外を覗いていました。大家さん一家はみんな、あまりにもビクビクしている私にむしろ驚いている様子でした。最初のうちは「なんでやらないの? 大丈夫、大丈夫」と言っていたみなさんですが、相当駄目な私を見て、「じゃあ、これでも食べていて」と、ナッツやドライフルーツを持ってこられました。しかし、私はいい加減写真を撮ったら、もう部屋に戻りたくて…。全く楽しめるどころではありません。
インド人は「日本人はなんて弱いんだろう」と思ったかもしれません、一方私は「インド人は音に対しての繊細さに欠けるよな〜」と思っていたのでした。
それにしても私は大きな音に極端に臆病なのでしょうか? 部屋に戻ってからも、突然の身近の爆竹音に心臓はドキッとするし、ハッとして声をあげてしまいます。まいりました。
花火は夜の10時までというのがきまりでしたが、それを守った人は果たしていたのか?
夜中の12時を回ってもまだまだひっきりなしに打ち上げられる花火爆竹。しかし、デリーはさすがに道路も広いし、バラナシのように家が密集はしていないので、打ち上げられる花火の光で空が華麗に描かれるとまではいかない。空の広さの方が勝っています。(写真はうまくは撮れませんでした。ご勘弁を〜)
しかし花火の量も半端でないので、外は煙で充満、そして地面には、クラッカーや花火の燃えカスが散らばっています。
2時を回ったので、寝たい時間ですが、まだ花火は止みません。
多数ではないにせよ、音が大きいので寝るに寝れません。
終いには頭にきてしまって、来年のディワリには絶対にインド外に脱出していたいと本気で思う程。
結局、3時を過ぎてもまだ花火はあがっていました。二度目にしてもう懲り懲りのディワリでした。
大家さんのゲストハウスのガネーシャ神にも花飾り…。
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by ayako-ondes
| 2007-12-10 23:59
| Diary★日記